哲学

哲学

哲学とは?

哲学というとどういう事を考えるでしょうか?とてつもない人の心の深い部分を観察する学問と考えるかもしれません。知るという事をテーマにもしています。人生・世界、事物の根源のあり方・原理を求めようとする学問。また、経験値からつくりあげた人生観。哲学では、人生・世界・事物の根本にあると思われるある原理を究めていきます。 哲学的考えによって、すべての事象の“本質”をつかもうとする学問。 哲学を学ぶには、基本的な知識、哲学思想の流れをつかみ、思想家の作品と、その背景や考え方を学びます。哲学とは、 世界の根源や本質を見極めるための知的探究的な取組み、および、その知的探究を具体的に作り上げる学問です。

哲学の問題

生と死は究極の問題で生物である以上避ける事が出来ない事でありそれは一回きりのものです。究極的にはいかに生を充実させるか、いかに死を充実したものであったととらえられるかが重要です。この考えを助けるのに哲学を利用すべきであると思われます。

神について

神について哲学的に考えるのは現在とても難しいものとなっている。なぜかというとそれは宗教などと結びつく事が日本では一般的であるからです。

同一の宗教であっても派閥などの違いによってとらえ方が違っていたりもする。

逆に抽象的もので神はこの世界に存在するという考え方をする宗教も存在する。

時間論的考え

時間は過去未来現在とありそれぞれが当然一般的には全くの別物だと考えられる。

こうした時間に対する考え方は一般的です。

しかし哲学的に考えると様々な問題にぶつかります。

例えるなら時間は存在しないと考える哲学者もいます。

なんと不思議な考えと思うかもしれませんが、これが本当ならば過去未来現在は区別されることなく真の世界においては時間の流れも変化もない事になるでしょう。

その後も当然時間が存在しないという議論には反論が大多数でした。

美と哲学

美とは芸術に限られるものではないと言える。例えば自然美や肉体美などがある。

では何を基準に美とは考えられるのだろうか?

景色や肉体などは美の基準の一つと言えるだろう。

それと同時に形のはっきりとしないものに対して美と判断さえる場合もある。

スポーツなどで美しいホームランや人の生涯に対して美しい人生と表現される場合があります。

これらについては様々な角度からの評価がされることとなるでしょう。

ジェンダートラブルとは

ジェンダートラブルとは女性がそもそもそのカテゴリーは虚構であるという、ある意味差別をなくすかのような思想を指します。

同性婚や差別に対する様々な指摘を行ったと言われています。

しかし、現在の情勢からはそれは看破されるものではありません。

世論が女性の権利を取り上げていることに注意が必要です。

古代・中世の哲学

西洋では哲学は6世紀に古代ギリシアで始まったとされています。

エジプトやメソポタミアなどの発展した文明と接点をもったイオニア地方が始まりです。

タレスという人物が7賢人にも数えらえるが、アリストテレスの「形面上学」第1巻で哲学の創始者と呼ばれてから哲学の祖とみなされてきた。

タレスなどの哲学者たちが始めた宇宙や自然に関心を持つものを自然哲学と呼ばれ科学的思考の起源とされています。

それは4世紀まで続き、現在では初期ギリシア哲学と呼ばれています。

著作は残っていませんが、その後古典哲学に移行していきます。

タレスの同郷のアナクシマンドロスは最初の哲学著作を著されたとされ、その一部を後6世紀にシンプロキオスが発表した。

アナメクシメネスは空気を元とした。空気は命の元とし空気が濃くなったり薄くなったりして雨が降り、大地が育ち、蒸発する。このように自然的な事象が起こると説明した。

このように万物を神話などに頼らず理論で解説する事がされ、科学的思考を成立されていった。

ソクラテスとは何者か?

ソクラテスは石工の一般人であったが、公共広場などで人々と対話しながら哲学の普及を促した。

ある日ソクラテスより知恵のあるものはいない、というアポロンの信託を受け、神の名のもと哲学をはじめる。

ソクラテスは自身が徳や善を知らないと当初思いこんでおり、他者と対話しても他者も知らない事を悟り、不知の自覚を推奨した。

ソクラテスはなによりも魂を清めることを目標に生きる事を人々にススメ、お金や名誉以上に魂を大事にした。

しかし、その活動は人々から批判を受け告発され結局死罪とされてしまった。

弟子たちに政治家が複数おり、対立者から貶められたともされている。

書き物は一切しなかったが、弟子達がソクラテスを主人公とする著作を多数出した。

ソクラテスの弟子であるクセノポンによる4作品とプラトン対話篇が現代に伝わっている。

プラトンとは何者か?

最初は政治家を目指していたが、師として仰いでいたていたソクラテスが前399年に死刑になると、哲学こそ政治が正しく見る事ができると感じ哲学に専念するようになった。

その後、アテナイ郊外のアカデメイアという土地に学園を開いた。

研究同志とともにディアレクティケーというソクラテスの残した哲学の方法で、問いと答えの両方を検討する後世の弁証法に影響を与えた。

2度シチリアに渡り、ディオニュシオス2世に教育し哲人政治を実現する希望を持ったが失敗に終わり帰国した。

30あまりのプラトン著作集を書き記して現在にも伝わっている。

プラトンの学園アカデメイアは閉鎖される529年まで900年ほど続いた。

またプラトンの対話本は古代から広く伝わりルネサンスを通じて後世に絶大な影響を与えた。

アリストテレスとは何者か?

17歳のとき当時60歳になるプラトンの学園アカデメイアに入学する。

学園一の読書家であり、学園トップの頭脳を発揮した。

プラトンの死去からかアテナイという土地を離れ旅に出る事となる。

その語マケドニア王の命により後のアレクサンドロス大王の家庭教師を務める。

その後12年の時を経てリュケイオンという土地に自分の学園を設立して代表となる。

たくさんの資料を整理したり研究する研究組織であった。

現在も残っている著書はアリストテレス全集である。

アリストテレスの考えの影響は後世に計り知れない程の影響を与えた。

プラトンやキリストとも対比され、特に14世紀以降の経験科学の発展にも影響したとされる。

また最近では徳倫理学の思想の元としてアリストテレスが注目されるなど、その影響は現在もなお続いている。

近代哲学

ルネサンス時代のイタリアは政治経済だけではなく、哲学、文学、芸術などもヨーロッパで中心的であった。

16世紀以降、ドイツ、フランス、イギリスで近代的な国家が発展したのに対してイタリアは後れを取る事となっていた。

しかし、思想の面ではすでに新しい理論を持ち、批判的な面を持ち合わせていた。

理想的な君主は慈愛に溢れ民から愛される者として表現される場合が多いがチェーザレ・ボルジアは、彼の残虐性によってロマーニャ地方を平和にし続けた。

フランスでは多くの天才たちが活躍した合理主義の時代も17~18世紀にかけ黄金時代を迎える。

1715年にルイ14世などと著名な哲学者が死去し、合理主義の時代も終焉を迎えたかと思われた。

しかしフランス哲学はこの後、啓蒙主義に向かっていくこととなる。

有名な人物ではヴォルテールとディドロがいる。

ヴォルテールはこの国の社会を批判する哲学書簡やカンディードが代表的な書物である。

ディドロは啓蒙主義の中では最も魅力的な人物と有名である。

なんといっても百科全書と呼ばれる全28巻の当時の知を網羅した辞典を書き上げた。

しかし実際の所これらの啓蒙主義とはそれほど評価の高いものではない。

なぜかというと結果的に理想の共有ができない人は排除するものであるからである。

ではここでスコットランド啓蒙について考えたい。

18世紀になりイングランドとの統合が進み、好況が進んでいた。

その中でいかにスコットランドの伝統と文化を踏襲しつつも時代に即した思想を持つかが重要視された。

多くの思想が唱えられたが、ここではアダムスミスについて解説したい。

1759年に道徳感情論、1776年に国富論でこの時代最も重要な思想家となった。

知性によって導かれる合理主義とは異なり、感情によって人は動くとされる感情主義であった。

しかし、共感のみの道徳的なものに依存してしまうと、その判断が主体的になり、規範として機能しない危険が生まれる。

しかし人間の本性として自分と利害関係とある他者とは反感が当然生まれる。

よって共感のみでは他者への道徳的配慮はできるものの、倫理的な判断が難しいという難点があげられる。

ライプニッツとは何者か?

ライプニッツとはドイツのライプツィヒ出身でヨーロッパを代表する万能人の一人です。

哲学以外にも倫理学、数学、力学、地質学、言語学、歴史学、政治学、帝王学など多数の学問を学んだ人物です。

カトリック教会とプロテスタント教会の和解、アカデミーや図書館設立、鉱山の開発など活動は多岐にわたります。

ライプニッツが自問したことは2枚の全く同じ葉がそれぞれ別に存在する理由がそもそもあるのだろうか。

それはない。なぜなら万物には理由があるからだと。

この葉一枚が存在するのは偶然であるとしても、それは必然で創造したと考えなくてはならない。

それらは1710年の弁神論に述べられている。

パスカルとは何者か?

パスカルはフランス出身で多才な人物である。

早熟で16歳の若さで円錐曲線試論を発表。その後はコンピューターの原型ともいえる計算機の設計と作成、真空の存在を証明する実験の発表、液体の平衡に関するパスカルの原理の発見し、確率論や積分学の分野でも大きな功績をあげた。

また幾何学的精神という少数の原理から出発して推論をたてて行う認識の合理的あり方とは区別される繊細の精神という推論に頼らずに日常の複雑な事象を一挙に得る精神のあり方を採用して人々を社会学的に観察する事も学んだ。

しかしその後、神に傾倒し、信仰に身を投じる事となる。

代表作としては1656年の田舎の友への手紙がある。

人間に可能な論証を現実世界の人間を相手にした議論において相手をどう説得するか、どう納得させるかに重点をおいている。

人間は神によってある意味完全な姿として作られた。それにもよらず神からの独立をもくろみ、世界の中心になろうとする。

この人間のエゴが人間の根本的不幸によるものと悟った。

それらを未完の死後出版の書パンセにキリスト教の乗り越えについて書かれている。

デカルトとは何者か?

デカルトは幼き若い日々からイエズス会というカトリック修道会の学校で過ごした。

その姿は「良識はこの世で公平に分配されている」という文章で始まる1637年の方法序説の最初に書かれている。

学の基礎固めの重要性に気付いたデカルトは1629年から「一生に一度、全てを根こそぎ覆し、最初の土台からから新たにはじめる」ことをめざして形面上学に取り組んだ。

そしてその成果として、省察(1641年)を作り上げた。

デカルトによれば、数学のどの命題よりも確実なものとして明確で論証できるものとして、第一原理は「私は思考する。ゆえに存在する」です。

すなわち精神は考える事をする実体として表現される。

でかるとの誇張された懐疑は、いずれ疑うのをやめるためのものであり、疑い続けるためのものではない。

ロックとは何者か?

ロックとはイングランドで生まれた。1652年にオックスフォード大学に入学し、大学を離れる1665年までギリシャ語の講師などをつとめる。

名誉革命後に寛容についての書簡(1689)統治二論(1690)人間性知論(1690)を出版した。

統治二論はそのまま2論からなっている。

1論で国王の絶対的政治を表現した王権神授説をとなえ、2論で自説をとなえている。

ロックの主な題材は政治と権力にある。

あらゆる政治は国民の生命・自由・財産を守るものとされている。

政治二論の将来の影響は絶大であり、有名なアメリカ独立宣言のトマス・ジェファーソンにも影響を与えたとされている。

ヒュームとは何者か?

ヒュームとは1711年にスコットランドでうまれた。

若干12歳にしてエディンバラ大学で学び、法律家を目指すが断念。

その後は哲学の道へと進み、18歳の時「思想の新しい情景」を発表。

その後「人間本性論」(1740)につながっていく。

その後は「道徳政治論宗」1741「人間知性研究」1748「道徳原理研究」1751「英国史」1762はいずれも好評をもたらした。

1763年に駐仏大使の秘書官として仏の哲学者などと交流をはかる。

ヒュームの活動は哲学にとらわれない。政治、経済、歴史、芸術、など数多くの学問で真価を発揮した。

ヒュームによれば、すべての推論や研究は観念の関係と事実の問題のどちらかを対象にしている。これはヒュームのフォークと呼ばれている。

ルソーとは何者か?

ルソーは1712年にフランスで生まれた。

多才で現在の学問で言うところの政治学、法学、教育学、言語論、歴史学、演劇などを扱い、他には作曲までしている。

ルソーの思想は本来人間はみな善良であるとされている。

しかし実際の社会は人間の性根を腐らせる。このように論じられている。

多面的な才能を持つルソーは腐敗をなくし、徳を積むには社会的に抜本的に変革させる必要があると考えた。

そのため唱えたのが一般意思の概念である。

各々が意思疎通をし、共通の利益に向かって契約を結ぶことにより私的利益の追求という悪意を払い、徳を積む事を可能とするとしている。

しかしこれらは小さな社会でのみ通用する理屈であるともされている。

カントとは何者か?

カントはドイツで1724年に生まれた。

1755年に大学で講師見習いになり、1770年に正式に講師になった。

3批判書と呼ばれる「純粋理性批判」1781、1787「実践理性批判」1788「判断力批判」1790を中心に著作されている。

カントはピエティスムスの信仰を持つ家庭で育った。ピエティスムスとは17世紀後半から18世紀前半に最盛期を迎えたキリスト教を重んじるものである。

1975年にフランスとプロイセンは平和条約を結ぶ。しかし戦争状態が続いていた両国は単純に停戦であるだけだった。

カントは「永遠平和のために」1795では社会契約説を支持し、人間の自然状態を戦争状態と捉えた。

人間は自然状態では戦争をしてしまう為、それを取り締まる法の力が必要と考えた。

国家間で契約を結びお互いをけん制しあう、この土台が国際連盟や国際連合の元となった。

シェリングとは何者か?

シェリングとは1775年に生まれた。

早熟の天才で15歳でテュービンゲン大学の神学部に入学し1778年にはイェーナ大学の講師となった。

「哲学の原理としての自我について」1796を書いている。

自然哲学に続き、精神と自然、主観と客観の根柢に同一性としての絶対者を考えるという同一哲学を独自のものとして発表した。

同一哲学とは主観性と客観性を同一に捉えることにより、絶対的なものを認める事が課題とされている。

ヘーゲルとは何者か?

ヘーゲルとは1770年ドイツで生まれた。

トュービンゲン神学院で学びフランクフルトで家庭教師をしながら最初は宗教解釈に取り組んだ。

ヘーゲルは個別の対象の質的な差を説き、各々の個別の関係を明らかにしようとした。

その後、ハイデルベルグ大学とベルリン大学で講義を行う中でヘーゲル哲学が作られていった。

フランクフルト時代のヘーゲルはロマン派の立場を取り、現実世界のあらゆるものを否定し断念して信仰の道に従って生きる事を美しい魂と評価した。

キルケゴールとは何者か?

1823年にデンマークで生まれ、実存主義の先駆者といわれる。

キリスト教信者として自分自身の主体的真理、つまり自分がそれのために生き、そして死にたいと願うような理念を情熱的に信じ続けた。

人間の本質は人間の人生の選択によって善も悪も余儀なくされるとされる。

キルケゴールの哲学の根本にはいつでも自己の問題がある。

「死に至る病」1849では、自己が、通常は絶望を余儀なくされだからこそ信仰に至る方向性があるとする心理分析の本である。

マルクスとは何者か?

マルクスは1818年ドイツで生まれた。

イギリスの経済学、ドイツ観念論の哲学、フランスの社会思想、それらをひとつにまとめ上げた。

マルクスは、人間と自然の関係及び社会関係が歴史的に変化するという視点をもった。

生産様式という生産力と生産関係つまり、生産に関して社会的関係とのつながりに結果が求められる。

生産様式は、アジア的、古代的、封建的、ブルジョワ的(資本主義的)の4つに分けられる。

「資本論」1867では資本主義的生産様式の分析を主に行っているが、最初の分析の対象は商品です。

資本主義社会では生産物は全て商品として存在するからである。

商品は交換されることを前提とするため、使用価値と交換価値をもつ。

マルクスは貨幣を資本とする剰余価値が、労働力商品の独自のものによって生まれると考える。

資本論による労働はその担い手である労働者階級を表し、同時に現実の批判もしている。

この批判の意味が階級闘争、そして資本家階級と労働者階級である。

現代哲学

19世紀頃、強大な国へと歩み始めたアメリカ合衆国は、同時に、南北戦争(1861~1865)におかれるように、急速な国力の増大に伴うリスクをはらんでいた。

この状況で生まれたのがプラグマティズムとなり、アメリカを象徴する哲学となった。

このような背景のため実利を重んじるという言葉で実利主義ともいわれる。

プラグマティズムという名前の由来であるギリシア語で行為という意味であるが、もう一つの意味として仮言的、定言的という意味があげられる。

仮言的とはAならばBである。というように、なんらかの結果が生じるという条件法的な事態を表し、いかなる抽象的な概念も、実験的過程における行為の仮言的な記述に翻訳可能と考え、これをプラグマティズムの格率として定式化された。

世界の可能性を考えるプラグマティズムがダイナミックに変わっていく社会へと変わっていくのは一つの必然であった。

急速な工業化とそれに端を欲したヨーロッパからの大量の移民を受け入れていた。

しかしそれは様々な問題を引き起こし、それに対し社会が直面している現実的問題をプラグマティズムが応用されていった。

そして次には分析哲学について語りたい。

分析哲学の歴史の始まりは19世紀の終わりに若手哲学者が当時イギリスの哲学界で流行っていたヘーゲル主義に反旗を翻したことにはじまる。

分析哲学の誕生にとって重要であった論点はヘーゲル主義的なものではなく分析に哲学の方法における中心的な役割を与えるという方法であった。

次に論理実証主義について伝えたい。

わかりやすく言うのであれば、論理的な分析を重視した哲学の運動を指す。

1920~1930年代にかけてヨーロッパのウィーンやベルリンで発展したが、ナチスによりウィーン学団やベルリン学派の中心的な人物の多くがアメリカやイギリスに亡命したため20世紀半ばには哲学が英語圏に流れた。

当時は哲学の果たすべき役割が問われた時代であった。

20世紀になるとアインシュタインが相対性理論を唱え量子力学も成立するなど科学・物理学も発展していった。

次に日常言語学派という20世紀にオックスフォードを中心に活躍した哲学者達がいた。

研究プログラムとしては1970年代まで影響を与えたとされている。

それは実体は薄く日常言語学派は特定の党派を名乗るものではなく、共通の歴史、地理的なものなどの全体を表すことが多い。

その境界線はあいまいである。

「言語と行為」にまとめられたアイデアは、言語哲学にとって真新しいものであった。

それは言語行為論と呼ばれる新しい分野を作り出し現代の語用論研究の基礎となった。

ニーチェとは何者か?

ニーチェとは処女作「悲劇の誕生」1872において、芸術の進展は、アポロン的なものとディオニュソス的なものという二重性に結びついてる、と述べドイツはいまギリシア的古代の再生を果たしつつあると熱意をもって語った。

「曙光」1881「善悪の彼岸」1886「道徳の系譜学」1887等の著作において、キリスト教道徳に代表される昔からある道徳的価値観を解く事を試みた。

ニーチェによれば、生にとっての本来の価値観は善悪で区別されるが、優劣という尺度で図る事とした。

一切の道徳的価値から脱却すべき私達に示したのが「およそ到達しうる限りの最高の肯定の定式」としての永年回帰の思想であった。

ニーチェの主著「ツァラトゥストラはこう言った」1883の根本思想この永遠回帰だった。

ベルクソンとは何者か?

ベルクソンは1859年に生まれ1941年死去したフランス生まれの哲学者です。

ベルクソンは哲学にかけているのは正確さであると自身の論文集「思想と動くもの」で述べられている。

この正確さこそがベルクソン流である。

理論や概念の正確さは、その体系や内容にある。

しかし、ベルクソンの正確さとは普通とは違う。

この正確さは持続の発見をする。持続こそが、実在を正確に把握した結果であり世界の真理であるからである。

アーレントとは何者か?

20世紀を代表する政治哲学者であるアーレントは1906年ドイツでユダヤ系の家に生まれた。

無国籍者として亡命生活を余儀なくされた。1993年ナチ政権の迫害のためにフランスへ亡命した。

第二次世界大戦がはじまった事により、敵性外国者として施設に送られる。

彼女自身はフランスの降伏によりどうにか施設から脱出をするが施設にとどまったユダヤ人女性はナチによってまた収監されてしまう。

その後アーレントはアメリカに渡り、英語を覚え執筆活動を始め大学でも教えた。

1951年アメリカ国籍取得により無国籍からの脱出に成功した。

アーレントの全体主義の起源(1951)では3部構成の著作物で全体主義を、ドイツのナチズムに限らず世界各地で起こりうる事として把握しようとした。

サルトルとは何者か?

サルトルとはフランスで1905年に生まれる。

高校で哲学を学び、1933年からドイツのベルリンに留学する。

フッサール現象学を研究する。その成果として、伝統的な想像力論を批判しつつフッサール哲学の可能性を論じた「想像力」1936や、フッサールの自我論批判を展開した「自我の超越」1937によって哲学界にて頭角をあらわした。

そしてその後「想像力の問題」1940でサルトル独自の想像力論を展開し世間に強い影響を与えた。

時期を同じくして小説「嘔吐」「壁」によって小説のデビューを果たした。

近代日本の哲学

日本が西洋哲学と出会ったのは16世紀~17世紀であり、イエズス会などの宣教師がキリスト教とともにアリストテレス哲学に基づく天文学などが伝えられたとしている。

しばらくオランダを除くヨーロッパ船の入港が禁止となり西洋文明とは接触が一部となった。

1639年からはキリスト教の禁教がされました。

1853年のペリー来航による開国による急激な西洋文物の導入は江戸時代までのものとは一線を画すものであり近代日本の社会を形成していった。

哲学は1870年頃から「百学連環」により流れを変えたとされます。

日本の哲学の導入は1877年設立の東京大学の中にある哲学科にあります。

東大哲学科の初期では西洋哲学を学ぶことが大事でした。

そしてその頃の日本ではドイツ語などで記された書籍の翻訳に力を入れていました。

江戸幕府と明治政府は西洋諸国の技術等を学ぶために学生を欧米に派遣して知識の収穫を始めた。

結果として、「哲学」では「概念、絶対、先天、後天、主観、客観、抽象、人格、命題、範疇、帰納法、演算法、肯定、否定、理性、感性」などが導入された。

内村鑑三とは何者か?

当時キリスト教は天皇を中心とした国家体制やその精神支柱とされた国家神道と合致しないものとする考えが強まった。

代表的の事として内村鑑三は教育勅語発布の翌年1891勤務校での勅語奉読式において、内村が勅語に対して最敬礼を行わなかったとされる「不敬事件」がある。

日本のキリスト教人口はとても少ないが、教育事業や福祉事業、社会運動は日本社会に定着し、社会や文化になじんでいった。

開国当初はキリスト教もそれぞれ協力関係にあったが、時間がたつにつれ宗派などの違いにより信仰のありかたなどで対立がする事もしばしばあった。

日本独自のあり方として無教会主義という教会による秘跡を認めない正統的プロテスタントではない日本独自のキリスト教の信仰も強まった。

西田幾多郎とは何者か?

明治時期より哲学とは何か?を問う人間はいたが、本格的にそれを実際に最初に実行したのは西田幾多郎である。

それは仏教と中心とした東洋の思想文化を背景にもつものであった。

西田の思想示した善の研究1911では一般読者でも読みやすく日本人著書としては異例の売れ行きとなった。

晩年の7冊に及ぶ「哲学的文集」では「行為的直観」「絶対矛盾的自己同一」「逆対応」といった様々な概念が駆使されている。

その思想は一貫して仏教の影響があった。

西洋哲学でもときに東洋思想が参照される事はあったものの、非西洋圏の思想文化を背景にしつつ近代哲学の中から成立した事で西田哲学は哲学史上に独自の位置を占めている。

田辺元とは何者か?

田辺元は最初、数学や科学を哲学的に考察する事から出発した。

田辺は始め、西田幾多郎によって京都大学に招かれ、後継者となった。

だが田辺はいざ生徒を前にして指導する事となると西田批判を始めた。

彼は、個別者の実践の論理として弁証法を理解していた。

田辺は個別者の実践の論理としての弁証法を社会存在の論理としての「種の論理」として展開した。

「種」とは類・種・個のうちの種である。言い換えれば概念の3契機である不編・特殊・個別の中での「特殊」である。

敗戦後、田辺は代表作となる「懺悔道としての哲学」1946を著した。

九鬼周造とは何者か?

生や体験をありのままに把握しようとする思想は、文化論や文学論にも通じるため、多くの読者を獲得した。

有名所では、「いき」の構造、という著書である。「いき」とは「粋」というような意味合いであり、江戸時代以降の美意識である。

この美意識や意味に日本人の精神性を元にそれがどんな構造か分析した。

九鬼の考えは、人生につきまとう「なぜこのような私なのか」という問いを中心としている。

この問いは偶然性をめぐるものだが、哲学は全てを必然的から考える傾向があり、偶然性は考察から外されることが多い。

九鬼は「偶然性の問題」1935でこの問いに正面から取り組んだ。

三木清とは何者か?

三木清は1897年生まれで1945年まで生きた。

若き日に西田幾多郎の「善の研究」から影響を受け、西田に学ぶ事で思想形成した思想家である。

三木はヨーロッパに留学し、「パスカルに於ける人間の研究」1926年に発表する。

その後、独自にマルクス解釈を学び、東京を拠点として言論活動を行った。

治安維持法による検挙で法政大学教授の職を辞退した後も論壇で活躍するとともに、昭和研究会にも積極的に参加した。

主な著作は「歴史哲学」1932「想像力の論理」1936「三木清全集」1986などがある。

 

古代哲学応用

古代哲学が現代的問題にどのような意義をもつのかというテーマが与えられ
た理由を、社会からの要請という視点からまず考えてみよう。大学や企業の研
究者としてではなく、市民科学者としてプル トニウムの研究を続け、原子力発
電に対 して科学的批判を行った故高木仁三郎(1938-2000)の次の言葉からはじめ
たい。
「私はなにも、NGO賛美をするつもりはない。しかし、科学者が科学者た
りうるのは、本来社会がその時代時代で科学という営みに託した期待に応
えようとする努力によってであろう。高度に制度化された研究システムの
下ではみえにくくなっているが、社会と科学者の間には本来このような暗
黙の契約関係が成 り立っているとみるべきだ。としたら、科学者たちは、
まず、市民の不安を共有するところから始めるべきだ。そうでなくては、
たとえいかに理科教育に工夫を施してみても、若者たちの”理科離れ…はいっ
そう進み、社会(市民)の支持を失った科学は活力を失うであろう。
厳 しいことを書いたようだが、私はいまが科学の大きな転換のチャンス
であり,-市民の不信や不安は、期待の裏返 しだから、大きな支持の力に転
じうるものだ、と考える。社会と科学の関係は、今後もっと多様化するだ
ろう.科学者と市民が直接手を取 り合って、社会的課題に取組むというケー
スも増えてくるだろう。」
このエッセイのなかの 「科学者」に、 「哲学者」を当てはめてみることはゆる
されないだろうか。哲学者が日本の大学機関で訓練され養成されている現実を
考えれば、やはりある程度まで同じことが当てはまると考えられる。哲学者が
哲学者たりうるのは、時代が哲学に託した期待に応えようとする努力によって
であると。いくら哲学の研究が高度化 し、テキス ト解釈が精微になり、解釈の
議論が複雑になっても、社会と哲学者の暗黙の契約関係が成立して社会からの
認知がなければ、とくに古代哲学は哲学のなかでもまっさきに役割を終えた過
去の学問とされるのではないか。もちろん、古代哲学にはその固有の歴史と意
義があり、しかも現代とは時代的文化的に大きな隔たりがあるのであって、現
代社会からの期待に応えることなど心配しなくても、ギリシア ・ローマ世界へ
の憧れや興味を抱く人たちによって、古代哲学の研究が引き継がれてゆくとい
う楽観的な意見もあるかもしれない.しかし、ギリシア ・ローマ文化を個人的
な趣味として噂むことを止めはしないが、日本の大学にはプラトンやアリスト
テレスの研究者は減ったとはいえ、まだ多すぎはしないかという声が聞こえて
くる。文化相対主義の流れのなかで、ギリシア ・ローマを自分たちの文化的な
坂として考えたがる西欧人に対抗して、これからの日本社会でまだ哲学に多少
の意味があるとすれば日本の哲学をまとめることくらいではないかという声も
強くなっているように患われる。それらの声は、古代哲学は現代的問題にどの
ような寄与ができるのかというかたちで差 し迫った厳 しい問いをわれわれに突
きつけている。古代哲学は古典として十分な存在意義をもつことを明確に主張
する努力を怠ってはならないが、しかし、 このような問いに対する真剣な応答
が古代哲学の研究者には求められているのである。この小論では、第一に古代
哲学と応用倫理学の歴史的関係を考え、第二に古代哲学と応用倫理学を関係づ
‘8ナるときの問題点を反省し、最後に具体的な実践例 として古代哲学の工学倫理
(技術者倫理)への応用の可能性を考える。以上の考察を通して、古代哲学の
研究者が社会的問題や課題に取 り組むことはどのような意味において可能であ
るのか、どのような意義があるかを共に考える手がかりとしたい。
1.古代哲学と応用倫理学
哲学が現実社会の問題の考察には関係がなく無益であるというレベルのある
種の 「講壇哲学」批判はけっして近現代にはじまるものではない。また、その
ような 「講壇哲学」批判に対する哲学側からの応答は繰 り返しなさなれてきた。
古代哲学の伝統の内部でも、現実社会と哲学との緊張関係を引き受け、各人が
生きるその時代をよりよく生きるためにこそ哲学が必要であることが意識され
明確に主張されている。われわれはプルタルコスのなかに、ここで取り上げて
いる問題と同質の反省を見出すことができる。
「以上すべてのことにくわえて忘れてはならないのは、政治にたずさわる
ということは、官職に就いたり、大使に任命された り、民会で大声を張 り
上げたり、演壇の上で激高して演説したり提案をしたりすることに限られ
ないということである。多くの人々は、それ らが政治にたずさわることで
あるとみなしているが、それはちょうど彼らが椅子に腰かけて議論をした
り、書物について講義を述べた りすることが哲学することであると疑いも
なくみなしているとお りだ。しかし、彼 らは毎日同じように見 られる行動
や行為においてたえず行われている政治や哲学には気づいていない。とい
うのは、ディカイアルコスが述べたように、ストア (柱廊)で歩きめぐっ
ている人たちは造造している (7reptlmTe^tv) と言われるが、田舎や友人に
会いに歩いて行く人にはそうは言われないからである。政治にたずさわる
ことは哲学することに類似 している。ソクラテスは、講義用の長椅子を置
いたり、椅子に腰かけたり、決められた時間に弟子たちと議論した り迫逢
したりすることなどを守らなかったが、しかし、弟子たちと時には共にふ
ざけあったり、共に飲んだり、従軍した り、また誰かと市場に出かけたり
した。そ して、最後には牢に繋がれ、毒を仰いだ。そうして彼は哲学 した
のだ。人生がそのあらゆる時間と場面、あらゆる経験と行為においてあま
ねく哲学を受け入れることを示 したのは彼が最初であった。」 (プルタル
コス 『モラリア』 「老人は政治走参与するべきか」796C8_796E3)
この記述か ら紀元後 1世紀半ばから2世紀初頭にかけて生きたプルタルコス
(C46-C120)の時代において、すでに哲学とは学校で哲学者が主として書物につい
て講義 したり論じたりするものであり、自分たちの生活や社会とは直接に関わ
るものではないと多くの人々から見 られていたことがわかる。そのような状況
に対 して、プルタルコスが求めているのは、ソクラテスの精神、市民との対話
に基づくソクラテスの哲学の営みへと立ち帰ることである。そのためプルタル
コスは 『モラリア』において、同時代の人々が日常的に経験 している問題、た
とえば、友情と敵意、結婚生活、食事と健康、近親者の死、運や迷信、老人が
政治に関わることはよいことかといった身近なテーマを取 りあげて論じたので
ある。人々が悩み、重大な関心を寄せ、判断や行動のよりどころを求めて知恵
を働かせ、知恵ある人に相談をもちかけるのは、日常に遭遇するこのようにあ
りふれてはいるが、ゆるがせにはできない諸問題である。さまざまな人々の具
体的な生き方の場面に哲学のロゴス (理性 ・言論)の営みをプルタルコスは結
びっけようと試みたのである。
このようなプルタルコスの精神は、現代の応用倫理学や 「臨床の哲学」の動
向ときわめて大きな類似点をもっている。野家啓一氏は、 「自然科学との交流 ・
市民との対話により新たな哲学が拓かれる」という短いエッセイで次のように
述べている。
以上の 「学際化」がアカデミズムの内部での動向であるのに対 し、もう
1つの 「実践化」は講壇哲学の枠を打ち破 り、哲学を路上へと連れ出そう
とする試みである。この方向を鷲田清一氏は 「臨床哲学」と名づけている。
つまり、哲学を研究室で 「書く」ものから街路で市民と 「語 らう」ものに
しようというのである。話題は生命操作や環境破壊などから性差別をはじ
めとするフェミニズムの問題まで、人々が社会の現場で直面する問題なら
何でも取 り上げる。それらをともに悩み、根本的に考え直す手助けをしよ
うというのである。パリにはすでにこのような哲学的実践を行なう 「哲学
カフェ」が存在すると聞く。この 「臨床哲学」が目指すのは、アテネの市
街を裸足で歩いては対話を求めたソクラテスの哲学精神を再び現代に廷ら
せることである。
かつて、アメリカの哲学者ローティは 「哲学の終鳶」を宣告して講壇哲
学者たちに衝撃を与えた。しかし、彼が終鳶を告げたのは 「専門化」し 「職
業化」した括弧付きの哲学に対 してであり、むしろ彼は哲学者に 「ソクラ
テス的殊介者」となることを求めている。哲学が物事を徹底的に考え抜く
という精神の飽くなき運動であり、人間が 「考える葦」であることをやめ
ない限り、哲学精神もまた死滅することはないであろう。
古代哲学は現代的問題にどのような意義をもつのか
「講壇哲学」を批判 し、 「公共哲学」でなければならないという現代の主張
もあるが、これらが意味することがソクラテスの対話的精神への立ち帰りであ
るとすれば、その点にのみ限れば歓迎すべきことであり3、プルタルコスの先述
の主張ともほぼ重なるものであろう。プルタルコスは、ソクラテスの哲学的精
神に立ち帰って、同時代の身近な問題を取 り上げているからである。
だが、プルタルコスは、そのような同時代の日常的な問題とプラトンやアリ
ス トテレスの哲学との関係をゆるがせにはしない。彼は同時代の日常的な問題
を、自然哲学や政治哲学へと興味深く帯びつけて発展させ、原理的な問いの形
に掘 り下げて、より本格的な哲学へと読者を誘っているからである。プルタル
コスは同時代のさまざまな問題に対する自らの主張や見解が、プラトンの哲学
によって支えられ、豊かにされることを明確に自覚している。その意味におい
て彼はプラトンやアリス トテレスの哲学への格好の案内人にもなる。プルタル
コスの全著作のなかで、プラ トンの名前への直接の言及だけでも実も362回に
も及んでいる。そして、 『モラリア』だけではなく、 『列伝』においてもプラ
トンは129回、その名前に直接の言及がなされている。その事実は 『モラリア』
だけではなく、プルタルコスが書き残した数多くの 『列伝』においても、プル
タルコスが身近な関心からプラトンの哲学に導く意図をもっていたことを示唆
するだろう。しかも 『列伝』は、 「物語」によって幅広い読者層の興味をかき
たて、 『モラリア』よりもさらに多くの人々を魅了し引きつけることができた
のである。
『列伝』が書かれた意図は、それぞれの伝記の冒頭で述べられていることが
多いが、 『アレクサンドロス伝』の冒頭の有名な箇所では次のように述べ られ
ている。
「私は歴史 (lGTOPtα()ではなく伝記 (断ot)()を書いているのだが、非
常に有名な行為が徳や悪徳を明らかに示してくれる ではなく、

むしろはんの些細な振る舞いや言葉や戯れの方が、幾万の兵が討ち死
にする戦闘や、大がかりな布陣や包囲作戦より以上に、人の性格
を明らかにすることがしばしばある。そこで私は、ちょうど画家が肖像を
描くときに、性格を表している顔や目つきをとらえて、あとの部分にはほ
とんど注意を向けないように、魂の特徴 に立ち
入り、そこから各人の生き方を措くことにして、大事業や闘争のことは他
の人におまかせしようと思う。」 (『アレクサンドロス伝』 1.2-3)
このような観点からギリシア ・ローマの名高い人物の性格を比較しながら、そ
の性格を形成している倫理性に焦点をあて、プルタルコスは読者に効果的に倫
理的反省をうながしている。近年のプルタルコスの 『列伝』研究ですぐれた研
究を発表しているT.E.ダフは、プルタルコスの 『モラリア』と 『列伝』の間に
は本質的な統一性があること、つまり、倫理的な著作と、その理論が検証され
問われ実践されることの間に、本質的な統一性があることを述べたうえで次の
ように主張している。
「私の主要な論点は、 『列伝』のモラリズムはプルタルコスの社会の規範
を単に肯定 したものではなく、より複雑で探求的で挑戦的なものであると
いうことである。最善の悲劇文学がそ うであるように、 『列伝』は読者を
深く考えさせることに導く。それはある価値を示すだけではなく、読昔に
闘いを投げ返す。中核的な価値には異議の申し立てはされていないが、 『列
伝』の多くが、倫理や徳について思考を刺激する疑問や不確かさを招くの
である.
プルタルコスの 『列伝』はすぐれた人間の性格を措いてその規範的な価値を示
すだけではなく、読者に倫理的な反省を促すように描かれている。ス トア派的
な完全に善なる人間像を提示するのではなく、長所 とともに短所や欠点をあわ
せもつ具体的な人間の日常的な行為を通して、倫理的生き方とは何かを考える
探求的な物語として描かれているのである。
プルタルコスの書き残した 『モラリア』と 『列伝』のなかには、今 日さかん
に言われるようになった 「応用倫理学」一一 過去の倫理学説の解釈で終わるの
ではなく、歴史的な倫理学説を批判的に吟味しながら、現代社会がもたらした
新 しい倫理的課題に取 り組み、合意可能な倫理規範を見出すこと- の原型を
見出すことができるだろう。たえず同時代の現実的問題に向き合いながら、そ
れを原理的な問いに基礎づけて探求する精神の営みが、プルタルコスのなかに
は明確に存在 しているのである。また、プルタルコスと彼の哲学において最も
重要な位置をしめるプラトンとの間には、およそ500年近い時代的隔たりがあ
るoそれは今 日の応用倫理学の基礎 として用いられることがあるカン ト(1724-
1804)やヘーゲル (177011831)から現代のわれわれを隔てている歳月よりも、
はるかに長い時間的な隔たりである。プルタルコスが同時代のさまざまな新 し
い問題の考察において、プラトンやアリス トテレスの哲学を用いること自体が、
現在の尺度からすれば応用倫理学的試みであったとも言えるのである0
プルタルコスの例が示しているように、現代の応用倫理学というのは、歴史
的にまったく新 しい倫理学 ・哲学が登場したのではなく、長い哲学の伝統のな
かに自己反省的な取 り組みとして内在 していた精神の復興として、社会的要請
に応えるために哲学的営為の一部に強い照明を当てたものとみなすことができ
るだろう。たしかに科学技術の爆発的な発展は新 しい問題をわれわれに投げか
けてはいるが、しかし、新しい対応を迫る新 しい問題はいつの時代にもあった
のである。それゆえ、応用倫理学に対する古代哲学の重要な役割の一つは、応
用倫理学を哲学の伝統のなかに位置づけることによって、応用倫理学の問いを
より原理的な問いへと深めて豊かにすること、そして、そのことによって哲学
全体の営みの活性化に寄与することであると考えられる。
また、古代哲学の伝統は、強い意見の相違 と論争によって特徴づけられる。
古代哲学の哲学的見解は、たいてい他の見解 との対話と衝突とを繰 り返 しなが
ら展開されてきたからである。また特殊な哲学用語を用いることなく日常用語
で哲学をしたプラトンやプルタルコスの哲学に代表されるように、古代哲学の
伝統は、きわめて問答法的で対話的な性格に富んでいるので、新 しい倫理規範
を対話によって求める応用倫理学が問題とする事柄の本質を正確に理解するこ
とにも寄与すると期待できる。
さらに、応用倫理学の祖ともいうべきプルタルコスが師と仰ぐプラトンの哲
学そのものが、現実世界をよりよく生きるために、現実の問題、同時代の問題
にどれほど切実な関心をもっていたかは多言を要しないだろう。ここでは本論
のテーマに関連して、プラトン 『国家』の哲人統治者の教育について一言だけ
触れておきたい。 『国家』において、哲人統治者となるべき者は、20歳までに
数学的予備教育や体育の義務教育を終えて、30歳まで哲学的問答法によって吟
味され選抜され、さらに5年間の言論の修練を経て35歳になった時に、洞窟の
中に降 りて行かねばならない。
「というのは、その期間が終わったあとで、君は彼 らをもう一度例の洞窟
の中へと降 りて行かせて、戦争に関する事柄の統率などの、若い者に適 し
た役職を義務 として課さなければならないことになるからだ。彼 らが経験
の点でも、他の人々におくれることのないようにね。同時にまた彼 らは、
そ うした実務のなかでさらにもう一度、あらゆる方向への誘惑に対 して確
固として自己の分を守 りつづけるか、それとも動揺 してわきへそれること
があ′るだろうかということを、試されなければな らない。」
この洞窟での実務の期間は、実に15年間に及ぶ とされている。哲人統治者は、
流言飛語やさまざまな利害が衝突する洞窟のなかで、15年間の実務経験を積ま
ねばならないのである。洞窟の上から、洞窟の下の様子を眺めて批判をすると
いうことではない。アリストテレス的な観想的世界に入りこむ以前に、みっち
りと実務をたたきこまれることになる。このような現実的経験の重視を考える
と、古代哲学の研究を志す若い世代が応用倫理学に関わることは、洞窟のなか
の実務経験の一環としてプラトンからも勧められていると言えるかもしれない。
2.古代哲学を現代的問題に導入する場合の問題点
しかしながら、古代哲学の伝統のなかに応用倫理学的な取 り組みがあるにし
ても、プラ トンやアリス トテレスなどの古代哲学を、現代の諸問題に応用する
ことには、考慮 しなければならないいくつかの注意点と問題点がある0 『ギリ
シア哲学と現代』という著作を書かれ、ギ リシア哲学が現代においてどのよう
な意義をもつかをつねに念頭において古代哲学研究をされてきた藤揮令夫氏の
次の言葉が、まず第一に浮かんでくる。
「プラトンの哲学には、いわゆる 「現代的意義」などというものはない。
あるものはただ、永遠的意義だけであろう。こんにちのわれわれが、プラ
トンが生きた二千数百年前の時代とは異なった外的環境の中に生き、われ
われが対処すべき現実の生活もプラトンのそれと異なっていることは、む
古代哲学は現代的問題にどのような意義をもつのか
ろんまざれもない事実である。しかし、ひとたびわれわれがプラトンのし
たように、現代に対 してほんとうに主体的に参与しようとするならば、そ
して現代がわれわれに投げかける無数の問題を、たんに時論的なかたちに
おいてではなく、思想そのものの問題として原理的なかたちで受けとめよ
うとするならば、われわれはかならず、プラトンが提出し対決したのと同
じ問題に行き当たり、プラトンと共に考える自分を見出すであろう。」
この主張は正しいと私も考える。時論的なレベルで現代の問題を取 り扱うだけ
ならば、哲学者よりもその個別の問題に熟知している専門家やジャーナリス ト
たちの方が、はるかに的確にかつ興味深い切 り口で示すことができる。現代の
問題を思想の課題として原理的なかたちにまで探求を掘り下げることによって、
哲学の取 り組みが意義をもつことを忘れてはならない。現代の問題に対 して、
プラトンの哲学が永遠的な意義を発揮するのはそのような段階においてであろ
う。プラトンの哲学をふくむ古代哲学は、人類の古典として固有の永遠的意義
をもっているからこそ、生涯をかけて真剣に取 り組むに値するのである。
しかし、今は次のような注も必要ではないか。現代の問題を原理的なかたち
で受けとめることと、それがプラトンの提出した問題に行き当たることはけっ
して自明なことではなく、その探求はプラトンの研究者や古代哲学の研究者が
意識的自覚的に行わなければならない固有の使命の一つであるということであ
る。一般に応用倫理学において、プラトンやアリス トテレスなどの古代哲学が
取 り扱われることは数少ないし、言及されることがあっても、対象となる問題
を歴史的に最初に考えた者としてわずかに数行で片づけられ、応用倫理学の書
物のなかの歴史に関わる章の最初の 1頁を飾るだけにすぎない場合が多い。し
かも、数少ない引用には誤 りの方が多いのである。それは応用倫理学を語る側
にも、また古代哲学に関わる側にも不幸である。現代の倫理的問題や思想的課
題に対してアイデアの宝庫ともいうべき古代哲学の豊かな伝統を活かすことは、
古代哲学者の側の責任と考えるべきであろう。
しかし、古代哲学を現代のわれわれの関心にしたがって解釈することには別
の大きな問題が存在する。 ∫.アナスは短い古代哲学の入門書で、読者の関心
の移 り変わりが古代哲学への関心と理解を大きく変えてきたことを指摘 し、そ
の具体的な例としてプラトンの 『国家』の歴史的評価の大きな変化をあげている。
古代哲学は現代的問題にどのような意義をもつのか/ll
政治的平等 として選挙権 と教育の権利を与えられた女性の考えを男性が吸
収できるようにする反省として有益であった。 (ここには性が入 りこむこ
とへのビク トリア朝風の懸念がある。ジョウエットは、女性の守護者を、
「妻女と子 どもは共有である」 というプラトンの考えから多大な労苦も惜
しまずに切 り離そうとしている。) 市民に対する公教育のための共通の制
度をプラ トンが主張 したことは、教育の民主化 と普及をめざし、教育を与
えることが国家の仕事であると考える高まりゆく運動によって、時宜にか
なった考え方 とみなされた。民主制に対するプラ トンの不平 と、統治には
特別な知識が必要であるという彼の考え方は、現代の議会制民主主義 と選
挙権の拡張に関して現在も続けられている論争のなかに取 り入れ られた。
『国家』は現代の諸問題について考える材料を提供 したのであり、19世紀
の関心が、プラ トンの理想国家を 『国家』の支配的な思想として照 らし出
したのである。」
ジョウエットの 『国家』の解釈は長い影響を保ったが、20世紀において 『国家』
に対する一般的な反応は、尊敬に満ちたものから敵対するものへと完全に変わっ
てしまった。ビク トリア朝時代の政治的闘争が終わると、 『国家』はより暗い
現代的な考えとの関係のなかに引き入れ られ、1930年代以降、 「守護者」は全
体主義者の、ときにはファシス トの考えとみなされ、共通の公教育と文化をプ
ラトンが強調したことは、プロパガンダや洗脳であると主張されるにいたった。
戦後には共産主義体制に関連づけられた。アナスは、以上のような歴史的解説
をふまえて、われわれが古代哲学を学ぶ場合には、三つのことに注意を払わな
ければならないと次のように主張 している。
「『国家』の移 り変わる運命を教訓物語として理解することは容易である。
古代哲学の一つの著作がそれを繋ぐ拠 り所から切 り離される仕方で、つま
り、プラ トンの著作全体から 『国家』だけが切 り離されるような仕方で、
「考えるのに都合のよいもの」として用いられる場合にはどのようなこと
になるかである。近年までそうした仕方で、 『国家』は受け取 られて研究
されてきたのである。しかし、われわれはまた、古代哲学の著作を学ぶ場
合には、少なくとも次の三つのことを意識すべきであるという教訓をも、
より公平に導き出すことができる。第一は、固有の知的コンテキストをも
つある著作を理解 し取 り組むことに対 して、われわれが抱いている関心で
ある。第二に、哲学的に突出していて興味深いことは何か、知的に満足感
を得 られると患われることは何かに関するわれわれ自身の想定である。第
三に、われわれの側で創造的な哲学思想を生み出す研究のためにその著作
がもつ可能性である。これらの要因は、異なる力をもち、異なる方向に作
用するだろうO 『国家』解釈の歴史か ら確かに学ぶことができる一つのこ
とは、これ らの要因への意識を欠如すれば、相互に矛盾し合うさまざまな
解釈のなかでどれが正しい解釈であるかをめぐって、実 り甲ない激しい論
争につながるということである。 (中略) 『国家』は、読者のなかで変化
した関心が圧力となって、一つの著作が片隅から中心へと、倫理的著作か
ら政治的著作へと変動する最も極端な例である。教訓とすべきは、 『国家』
に対するわれわれの解釈がわれわれ自身の先入観の反映だと考えることで
はない。そうではなく、われわれ自身の哲学的関心とそれらが果たす役割
が、無意識的にわれわれに影響を与える度合いを減 らすために、それらを
意識すべきなのである。」
これは現代のわれわれが古代哲学を読む場合の解釈学的な問題を述べたもので
あるが、古代哲学を現代の問題に関係づけるという場合にも同様に妥当する内
容である。われわれ自身の倫理的哲学的関心を自覚し、プラトンの対話篇や古
代哲学のテキス ト世界がわれわれの関心とは異質性と他者性をもち、それ らの
テキス トが書かれた目的を十分意識したうえで、両者の関係づけを行わなけれ
ばならない。われわれは自分の関心を古代のテキス トに直接読みとろうとし、
古代の哲学者が問題として取 り組んでいないことを読み込んでしまいがちであ
るOたとえ同じテーマを取 り扱っているように思えても、現代のコンテキス ト
と古代哲学のテキス トを比較することは、異なる構造物どうしの比較であるこ
とをつねに忘れてはならない。そして、そのような異質性を意識することは、
古代哲学を現代的問題から引き離すのではなく、古代と現代の問題をより正確
に理解することによって、現代的問題の考察の発展に古代哲学を役立たせるた
めにこそ必要なのである。
古代哲学は現代的問題にどのような意義をもつのか
3.古代哲学と工学倫理
哲学者も、市民の不安を共有することからはじめなければならないとすれば、
その市民の不安とは何か。この時代の市民の大きな不安の一つが、急速な発展
をとげた科学技術産業の恩恵で物質的経済的には豊かになった日本社会におい
て、よく生きるということが何かが見えなくなり、倫理的に生きることの指標
や精神的基盤が失われていることへの不安であろう。冒頭でふれた高木仁三郎
氏は、ガンで亡くなる前年の1999年に高木氏の活動を紹介 したNHKのテレビ番
組で、自分が反原発の運動をやってきた動機は、何かに反対をしたいというこ
とではなく、 「よく生きたい」と思ってきたからであると述べている。大学か
らは哲学の講座や講義名が減少してはいるが、倫理や哲学を求める声はむしろ
社会のさまざまな分野で強まっているようにすら思われや。20世紀の後半に急
速に発展したテクノロジーが、それまでには想像もつかなかった新 しい問題を
つきつけるなかで、生命倫理、環境倫理、情報倫理などの新 しい領域に即した
倫理が求められてきた。そのなかでもここで取 り上げる工学倫理 (技術者倫理)
は、最も新 しい後発の応用倫理の分野である。
工学倫理や技術者倫理の教育が、日本の大学の工学部において導入されるこ
とになってきた直接的な要因は、1999年に設立された日本技術者教育認定機構
(JABEE) による技術者教育プログラムの認定の要件に 「技術者倫理」の授業科
目が含まれていることによる。JABEEは米国の工学技術教育認定委員会(ABET)
にならって設立され、工学教育の世界標準化の流れ、技術者教育の国際的同等
性を確保する動きに対応 している。また技術者倫理が必要とされる背景には、
地球規模の環境破壊や、高速増殖炉もんじゅのナ トリウム漏れ爆発事政やJCO
の臨界事故など、1990年代に多発したテクノロジーにかかわる相次ぐ大事故や
大企業の重大な不正事件への危機感がある。
私が技術者倫理に関わるようになったのは、1999年に勤務する名古屋工業大
学の公開講座で 「技術と倫理」というテーマで講義して以来であるが、古代哲
学を技術者倫理に取 り入れる場合には、古代哲学と現代的問題との異質性と共
通性の両方が役立つと考えてきた。私が編集にたずさわった工学倫理の教科書
『工学倫理の条件』では、 「工学倫理の歴史的基礎 と現代的課題」 を寄稿し
て、そのような観点から 「ヒポクラテスの誓い」やプラトンの技術論などを取
り上げた。この種の本としては例外的に古代哲学やプラトンの哲学をあえて大
きく取 り上げることにした背景には、工学倫理を誰が教えるのかという議論が
あり、工学倫理に関して古代哲学から学ぶ内容があることを示す意図があった。
技術者や工学専門教官のなかには、工学倫理は技術者が教えるべきだという
強い意見がある。彼らによれば工学倫理はonthejobtrainingの一環となり、倫理
的ジレンマは可能なかぎり速やかに回避されるべきものとして、その処理方法
がマニュアル化されることになる。アリス トテレスやプラトンのような哲学は
不要などころか有害でさえある。しかし、科学的営みが19世紀に突然に始まっ
たのではないように、技術と倫理の問題は人間の技術の歴史とともに古く、技
術者倫理に関しても古代哲学から学ぶことがたしかに存在 している。また倫理
的ジレンマは、マニュアルでは予想されていなかった新 しい事態においても倫
理的判断が下せる思考能力を養うために、自分でその解を探究することが重要
である。
ヒポクラテスの 『誓い』 の方は、古代哲学と現代的問題がもつ共
通性という観点から、倫理綱領の歴史と課題の関連で取 り上げた。1990年代後
半に入 り、日本の工学協会に属する学会や企業では、国際的な要請や事故防止
のために倫理網嶺を制定するようになった。倫理綱領の制定によって、技術者
の倫理的行動が当たり前のものとなる環境を生みだし、上司や他の技術者から
非倫理的な行為を強いられた個人の立場を支えるために役立つことが期待され
る。しかし、日本の学協会ではまだ倫理網嶺が定められていない学会の方が数
多く、倫理観や価値観の多様性を主張して、倫理網嶺を定めることには否定的
な意見も少なくない。そのような反対意見に対 して、職業倫理の西洋思想史上
最初の表明であり、西洋史上初めて成立した倫理綱領でもあるヒポクラテスの
『誓い』を取 り上げることには意味がある。なぜなら 『誓い』には、患者 (顧
客)のプライバシーの保護や利益擁護が宣言されているなど、今 日の学協会や
企業が掲げている倫理綱領 とくらべてみれば、驚くほどの共通点がみられるか
らである。両者を比較することによって、専門技術に関わる倫理綱領は、時代
や地域や文化や宗教の差異を越えてかなりの共通性と普遍性をもつことが推測
されるのである。
これに対 して、プラトンの技術論の方は、現代の一般的な技術観を問い直す
ものとして取 り上げた。以下は、やや長くなるが 「工学倫理の歴史的基礎 と現
代的課題」 の引用である。
プラ トンの技術論が現代 に示すこと
技術の知と倫理の知はいかに関わると考えられてきたのか。世界で最初に
大学 (アカデメイア)を創立し、西洋思想史において哲学を社会的制度的に
確立したと言われるプラトンの思想において、その関係を確認 しておこう。
プラトンの技術論の特徴 として以下の項目を挙げることができる110
1)政治家や詩人は知識を持っていないが、技術者は明確な知識をもつ。
2)技術知は倫理的知識のモデルである。
3)技術と報酬 (金銭)獲得術とは異なる。
4)技術は技術が支配する対象の善 ・卓越性をめざす。
5)技術は対象の善を求めるのであるか ら、対象の快楽を目的とするおべっ
か術 (追従)とは異なる。
6)技術は知識であるので、感覚的肉体的な熟練や勘とは異なる。
7)精密な技術は、数学に基づく。
8)製作技術に対 して使用の技術が優位性を持つ。
興味深いことに、倫理的な知識のモデル とされているのは、政治家や作家
(「文化人」)の 「知識」 ではなく、数学を基本とする技術知なのである。
それは技術知が以下のような内容を持つからである。
①明確な対象をもっこと
②対象と処置についての合理的説明 ・根拠を持つこと
③教えうること
④知識の所有者には権威が認められること
⑤技術は働きかける対象にとっての善/卓越性をめざす こと
⑤に示されるように、技術はニュー トラルではなく、技術は技術である限り、
対象の善 ・卓越性をめざすと考えられている。このようなプラトンの技術理
解は、個別科学の 「価値自由」や、技術を道具として理解する常識にとって
は奇妙に思えるかもしれない。しかし、工学とは、最適な仕方で特殊な条件
に合うように構造物、装置、システムの構想や設計をすることが基本であり、
効率的に問題を解決 し必要にあった装置や過程やシステムを計画することで
ある。設計という、すぐれて工学的な知識のあり方そのものなかには、設計
者の価値観が排除 Lがたく入 り込んでいる。つまり、価値的にまったく
ニュー トラルな工学技術があって、その後に、事後対策的に価値や倫理がくっ
ついているのではないのである。
科学はどれほど忠実に主観を排除したにせよ、その排除を行うものは依然
として主観である計測装置はニュートラルな働きをするように作られてい
たとしても、数あるファクターの中で何を計測するかは人間の主観に関わっ
ている。科学的認識とは、本質的に価値負荷的であり、それは自分が認識し
ようとするものを認識するのであって、いわば他を切 り捨てることによって
成 り立つ。そこで何を選び、何を捨てるのかという価値の問題を排除できな
いのである。
近代科学技術は、その領域から倫理や価値の問題という複雑さを、表層的
には 「排除」して、それぞれの領域でめざましい進歩をとげた。しかし、そ
の反面、地球環境問題のような負の問題 と直面することによって、社会秩序
や価値や倫理を問題にせざるをえなくなっている。人間にとってより善いこ
ととは何であるのか。自分が携わる技術が、短期的な効率性だけではなく、
その対象にとっての 「善」を見据えているのかということを検証することが
必要になる。人間にとっての価値に配慮するような技術 こそが21世紀には求
められるだろう。そして、どのような科学技術や産業のあり方を善いものと
して許容し、創造 し発展させるかを、情報を分かりやすく一般に公開して、
市民が議論して比較選択することができるように、技術者が市民をサポー ト
することが、市民社会にとってきわめて大切になってきている。
以上の解説の基礎にあるのが、プラトンの技術知と倫理的知のアナロジーの
問題である。それは近年多くの古代哲学の研究者が取 り上げてきた問題である。
プラトンは、 「徳は知識である」としたソクラテスの洞察を、徳と技術 (テク
ネ-)のアナロジーを用い、徳を備えた人間を職人 (技術者)と比較すること
古代哲学は現代的問題にどのような意義をもつのか
によって、徳の探求の議論を展開している。しかし、その中心テキス トとなる
『国家』第一巻におけるクラフト・アナロジーに関しては諸解釈が入 り乱れ、
プラトンがクラフト・アナロジーを放棄するのか、あるいは維持するのかでさ
え解釈者に基本的一致が見られていない。私の考えでは、プラトンのクラフト・
アナロジー解釈に関する相反するさまざまな解釈はいずれもプラトンの技術観
を見誤 り、価値的にニュー トラルな道具的知識として理解する技術観に支配さ
れていることが最も大きな問題である。
プラトンは、技術に対 してその名で呼ばれるかぎりは誤ることがないという
無謬性と、技術が技術の支配する対象の善/卓越性を追求するという二つの原
理を要請している。それは技術に対 して無限ともいうべき努力を要請する厳 し
い要求である。と同時に、そのことは技術の可能性に対するプラトンのきわめ
て高い評価を表わしている。技術がロゴス (哩)に従って対象の善を誤 りなく
追求しようとするがゆえに、技術は倫理的知識のすぐれたモデルとなる。 『国
家』第一巻のクラフト・アナロジーは、倫理的知識を技術的知識と比較するこ
とで、倫理的知識が個人的内面的な価値観 として吟味やロゴスによる探求の対
象とならずに腐敗することがないように、倫理的知識に与えられた試金石とな
る。他方それは、技術的知識が倫理性をその内部にはいっさいもたぬ道具的知
性に堕す危険性への警鐘としても響いている。
このようなプラトンの技術観の異質性は、現代のわれわれの技術観を問い直
す役割を担いうる。工学倫理を考えるうえでもこの観点はきわめて重要である。
つまり、工学という技術がまずあって、それから事後的に倫理を考えるのでは
なく、工学そのものの営為のなかに倫理性を考える視点を切り開くからである。
さらにまた、製作知よりも使用知を高く位置づけるプラトンの技術論からも重
要な意義と豊かな示唆を引き出すことができるであろう。
むすびに
現代の倫理的問題を取 り上げる場合に、古代哲学にまで遡ることが必ずしも
必要なのではない。むしろ、応用倫理学で取 り上げられることは、現代の新し
い状況に即した応答を求めている以上、現代の議論を整理し組み立てるだけの
方が適切とされる場合の方がはるかに多いだろう。日々更新されるウェブサイ
トの情報源が最も重要祝されるような問題の場合には、問題解決のために直接
に要求されるのは、古代哲学の知識ではなく、今 日の情報が明日には古くなる
最新の情報を的確に獲得 し整理してゆく能力である。
しかし、以上のことは、古代哲学が現代的問題とは無関係であるとか、現代
的問題に意義をもたないことを意味するのではない。述べてきたように古代哲
学が、現代の問題を対比的に理解させて、現代的思索を発展させることは十分
に可能なのである。また反対に、現代的問題を考察することが、古代哲学に対
するわれわれの関心と理解に影響を与え、より切実な問いとして古代思想を現
代によみがえらせる可能性もあるだろう。古代哲学の長い伝統は、おどろくは
ど多様で多彩である。古代哲学の伝統のなかのどの部分が、注目を集め人々の
思索を発展させるようになるかは、それぞれの時代を生きる人々の知的関心が
移 り変わるにつれて大きく変容 してきた。その変容の歴史は、古代哲学の新 し
い伝統を形成すると共に、古代哲学の知的源泉としての豊かさを現代のわれわ
れに証しているのである。現在の日本のアカデメイアの危機において、何より
も求められているのは、はかでもなくソクラテスの哲学精神への帰還なのであ
る。

‹1›

中世哲学応用

中世の神学あるいは中世哲学というのは,プロテスタン
ト教会におきましては,長い間,否定されるか無視されるかしてきたものなの
です。ルターなどは,論争的な文書においては,彼以前のカトリック教会を,
「悪魔の教会」だと表現している箇所もあります。
つまり歴史的に言うならば,宗教改革の教会(バプテストもそこに属してい
るのですが)というものは,中世を否定することにおいて成立したという一面
があります。悪いのは中世だ。中世の悪しき教会と神学を克服して,信仰を一
人一人の信者の手に取り戻すべきだ。個人の自覚的信仰が教会の基礎である。
カトリックの魔術的な儀式や,豪華なお金集めの教会や,ガウンを着た聖職者
中心の教会ではなくて,質素な,小さくてもいいから真面目な信仰の教会を作
る。信徒中心の教会を作る。それが宗教改革の主張の中心にはありました。だ
から彼らは中世の教会や神学を否定しました。
実際には,ルターやカルヴァンの教会は,中世の教会から非常に多くのこと

を受け継いでいるのです。現代のキリスト教の基本的要素はむしろ,礼拝にせ
よ,祈りにせよ,神学にせよ,ほとんどは実は中世からきている。しかし彼ら
は,意識的にはそれを否定したのです。中世は悪魔的な時代である。神を見失っ
た時代である。その結果,「暗黒の中世」というイメージが,近代人の心には
すっかり定着してしまったと言えます。
宗教改革と同じ頃に始まった近世あるいは近代という時代そのものも,中世
を否定することによって成立したと言うことができます。中世の迷信を払拭し
て,合理的な理性によって国家・社会を運営していくべきだ,というのが,近
代の啓蒙主義の主張のひとつであります。中世は迷信の時代であって,自然科
学なども発達していなかったし,自然科学者は非常に迫害されていた,という
誤解が,近代人のひとつの固定観念になっています。たとえば非常に多くの
人々が,中世には異端審問とか,魔女裁判というものがあって,ガリレオ・ガ
リレイなども,地動説(heliocentric theory)を唱えたために,中世の教会の異
端審問にひっかかって,殺すぞと脅されて,やむなく自説を撤回せざるをえな
かった。しかし彼は,小さな声で「それでも地球は回っている」と呟いたとい
う,実は大部分は近代になってから造られた作り話を,今でも本気で信じてい
る人々が大勢いるわけであります。
ガリレオが,「それでも地球は回っている」と言ったというのは,史実では
ありません(125年後のジュゼッペ・バレッティ Giuseppe Baretti 1719-89の著
作1757年が初出)。しかしこの言葉は,今でも,中世の教会の悪しき権力に対
する自然科学の闘いの象徴のように語られることが多いのです。
ガリレオ裁判について語ることは,今日の主題ではないのですが,そもそも
Galileo Galilei 1564-1642という人は,17世紀の人間であって,中世の人ではな
いのです。ガリレオ裁判(1633年)というのは,明らかに近世の出来事であっ
て,イギリスではバプテストが誕生していた同じ時代のことなのです。ガリレ
オに対する異端審問も,地動説が問題になったというのは表面的なことであっ
て,現実にはローマ教皇とフィレンツェのトスカナ大公(メディチ家)の政治
的なかけひき(非常に近世的)にガリレオが巻き込まれたというのが真相で
すから,ガリレオの異端審問を理由にして中世の教会を考えることは,
まったくの時代錯誤であります。
ガリレオよりも100年以前に地動説を唱えたニコラウス・コペルニクス1473-
1543は,ポーランドの聖職者でありましたが,15世紀後半から16世紀前半,つ
まり宗教改革者マルチン・ルターと同時代に生きた人ですので,半分ぐらいは
中世人だったと言えますが,彼は地動説によって処罰されることはありません
でしたし,その著書『天体の回転について』も,禁書にはなっていません。科
学史家の村上陽一郎さんによると5),コペルニクスは処罰されるどころか,ロー
マ教皇からその科学的業績を表彰されてさえいるというのです。
中世という時代と,中世の神学については,近代に創作された非常に多くの
歴史的な誤解があります。その誤解は,多くの研究者たちが誤解だったと気づ
くようになった現代でも,人々の心からまだ拭い去られていないのです。
そういうわけで,これまでは何となく気おくれのようなものがあったのです
が,私はここで,声を大にして言いたいのです。中世を学ぶことは非常に重要
である。それは神学を学ぶためには,欠くべからざる学びである,と言いたい。
私が学生として神学部で学んでいた当時は,教理史の時間には,2 世紀から古
代末期のアウグスティヌスまでやって,そのあと中世を30分ぐらいで,神学者
たちの名前だけあげて通り過ぎて,マルチン・ルターの宗教改革に行くことに
なっていました。とんでもないことであります。
理由を二つ述べます。その二つは結局一つのことなのですが,キリスト教の
歴史の中で言って,中世のキリスト教というのは,大きな川の中流にある,湖
のようなものだと思うのです。古代世界においてキリスト教は始まったのです
が,その源流(ユダヤ教のみならず,ギリシア哲学や,地中海世界の諸宗教な
ど,多くの源流)から様々な流れが出ていて,それらの流れは結局合流して,
中世という大きな湖に流れ込んでいった。だから私たちは,中世のキリスト教
神学を学ぶことによって,最初期の(古代の)キリスト教やギリシア哲学の教
えが持っていた様々な可能性の中で,中世には何が実現し,何が失われたのかを,

歴史的に理解することができるのです。中世を飛び抜かして古代だけを
やっていると,それがわかりませんので,結局私たちは,現代の価値観によっ
て古代を取捨選択して,讃美したり,裁いたりするというだけに終ってしまう
と思います。
古代の,最初期のキリスト教というのは,圧倒的少数派でした。ですから,
聖書が語っておりますことは,本当に突き抜けたような凄さがあって,今でも
私たちを揺り動かす根源的な力なのですが,古代の世界において,それが社会
的に実現していたわけではありません。小さな,キリスト教会の内部だけで,
部分的に実現していたり,あるいは掛け声だけで実現していなかったり,とい
う状況でした。たとえば,最初期の教会においては,女性たちが男性と同等に,
あるいは男性以上に活躍していたと思われるのですが,早くも 2 - 3 世紀には,
それはほとんどなくなってしまいます。つまり 2 - 3 世紀にキリスト教徒の数
が次第に増え続けるとともに,当時の一般社会に合わせて妥協していったので
す。その様子は,その当時多かった,新約聖書本文の改変の歴史の中に現れて
います。
それに続く時代,古代の末期は,キリスト教の成長の時代です。様々な困難
を経て,いよいよキリスト教がローマ帝国社会の多数派になった,というとこ
ろで古代は終わりました。というのは,その時点(476年)で,古代ローマ帝
国世界そのものが弱体化し,分裂し,崩壊してしまったからです。
ですから,中世というのは,東西ヨーロッパのキリスト教の教えにもとづく
社会が,ゆっくりとではありますが,本格的に形成された時代であります。で
すから,古代の理想の何が実現され,何が失われたのかを,私たちは中世の神
学を学ぶことによって知ることができるのです。中世のキリスト教神学には二
つの形があって,ここでは,私は西方教会,つまりローマ・カトリック教会の
中世の神学のお話しかしませんが,東方教会,つまりビザンチン神学も非常に
大事です。
中世を勉強すべきもうひとつの理由は,近・現代のキリスト教と神学との関
係です。中世のキリスト教は,私たちの直接の過去であります。私たちはとも

すると,自分が古代のキリスト教,つまり聖書の世界と直接につながっている
と錯覚してしまうのですが,私たちの直接の故郷は中世という時代であって,
この大きな湖から,近代の様々な流れは流れ出ているのです。ですから私たち
は,中世を批判してももちろんいいけれども,否定したり忘れてはいけない。
それを忘れて,私たちが中世を飛び抜かして考えていると,自分自身の姿も見
えなくなってしまうと思います。つまり自分たちが,中世の後,近代という時
代に,何を獲得したのか,そして逆に何を失ったのか,ということがわからな
くなってしまう。そのように思います。たとえば,バプテスト教会は近代にお
いて何を得たのか,そして何を失ったのか,ということです7)。
それは,自分自身の姿を見ることができないということです。たとえばバプ
テスト教会が,どのような意味で優れていて,どのような意味でおかしいのか,
それがわからないままでは,将来のために自分を修正することもできないはず
です。あるいはバルト神学が,どのような意味ですぐれていて,どのような意
味でおかしいのか,それを見るためのひとつの鏡が,中世の神学だと私は考
えているのであります。

私見では,バプテストが得たものは個人の自覚的信仰という理念,失ったものはそれ
以外のすべて,つまり非自覚的な信仰である。私たちはそのような信仰を批判しても
いいのだが,それがあることを否定すべきではない。自覚的信仰は,非常に豊かな非
自覚的信仰を基盤として,そこから生命を得ているからである。それを否定した結果
として,たとえばバプテストでは,知的障碍者のバプテスマが困難になっている。あ
るいはバプテスマは必要か,という問いが難問になる,という現象がある。参照。加
藤英治「『知的障害者』の信仰告白とバプテスマについて――その教理史的・組織神
学的基礎付けの試み――」西南学院大学大学院神学研究科修士論文(2010 年,未公刊)。
バルトは,あの時代のプロテスタント神学者としては例外的に,中世を射程に入れて
神学をした人である。弁証法神学と呼ばれたグループの他の代表者たちは,ゴーガル
テンにしても,ブルンナーにしても,ブルトマンにしても,近代の枠内で動いている
に過ぎない。参照。ハンス・キュンク『キリスト教思想の形成者たち』
しかしバルトも十分ではなかった。彼の後の世代の神学者たちは,バルトよ
りも中世の文献を研究する手段を持っていた。G・エーベリンクや,E・ユンゲルや,
W・パネンベルクなどは,その視点からバルトを批判することができた。とはいえ,
バルトのすぐれていた点は,彼が中世の神学者たち(アンセルムスやトマス・アクィ
ナス)を客観的に研究し理解したというよりは,彼らと全力で格闘したという点にあ
る。この点で,バルト以後の神学者たちは,バルトに及ばない。私見だが,バルトの
すぐれていた点は,信仰の客観的根拠を個人の自覚とか自己意識(シュライエルマッ
ハー)にではなく,イエス・キリストに置いたこと,おかしかったのは,自然神学を
(批判のみならず)否定してしまったことではなかったろうか。
2 .観想的生活への憧れ
中世の神学の基本的要素の中で,今,改めて想起したいものはたくさんある
のですが,ひとつの例をあげて,お話をしたいと思います。
皆さんのお手元にお配りした資料の中に,ゴチック体で一つの文章
が載っています。それは,私が学んでおりますトマス・アクィナス1225-1274
という中世哲学者の言葉です。ここでは,その言葉を説明するという仕方で,
中世哲学・中世の神学から,私が学んだことのひとつについてお話をしたいと
思います。
それは,神学大全第Ⅱ- 2 部第180問題第 4 項からとった言葉です。
「観想的生活に主要的に関わっているのは,神的真理の観想である。なぜな
ら,かかる観想こそすべての人間の生命・生活 vita の目的であるからである。
それゆえアウグスティヌスは『三位一体論』第一巻で,͆神の観想はわれわれ
に,すべての行為の目的として,また喜びの永遠の完成として約束されてい
る͇と述べるのである。この観想は,きたるべき生においては確かに完全であ
り,そこではわれわれは神を͆顔と顔を合わせて͇見るであろう。それゆえこ
の観想は,完全に至福な人々を生み出すであろう。しかしこの世では神
的真理の観想はわれわれには不完全に,つまり͆鏡を通しておぼろげ

にしか与えられない。それゆえ,この観想によってわれわれに生じ
るのは,ある種の不完全な至福である。この至福は現世ではじまり,来るべき
世において目的に達するのである」(『神学大全』Ⅱ-2, 180,4)
ここでは,観想的生活 vita contemplativa について語られています。「観想」
contemplatio というのは,簡単に言えば,心を集中するということです。神さ
まのことを一心に集中して想う。また神さまの造られた世界について,その本
質,自然本性 natura について心を集中するということです。神さまとは何だろ
うか,人間とは何だろうか,そして世界とは何だろうか。それに集中して思い
めぐらすことを「観想」と言います。ですから,観想的生活というのは,具体
的には修道院生活のことです。修道院に入って,世俗的な生活からは遠ざかっ
て,可能なかぎり一日中,ただ神さまのことを学び,神さまのことを想うとい
う生活です。トマスは,これこそが,本来的に言えば人間の生活の理想だとし
ているのです。一行目の終りのところに書かれていますが,「なぜなら,かか
る観想こそすべての人間の生命・生活の目的であるからである」。
トマスのみならず,古代の末期から近世の初めごろまでの神学者たちは,そ
のほとんどが,人間の最高の行為は,神さまのことを観想することだと考えて
いました。もちろん,それは普通の人間にはなかなか実現できない理想です。
たとい修道院に入ったとしても,修道院そのものが運営されるためには,修道
士は静かに観想するだけではなくて,最低限の労働もしなければなりませんし,
食事の支度とか,書物を筆写するとか,礼拝の準備をするなど,共同体のため
の活動的生活 vita activa はどこかに残り続けます。しかしトマスがこの文章の
後半で述べておりますように,修道院生活は,たとい不完全ではあったとして
も,それはこの世ではもっとも幸福に近い,神さまを「鏡に映して見るように,
おぼろげに見る」ということだったのであります。
これは余談ですが,「鏡に映したようにおぼろげに」というのは,聖書
の言葉でありますが,現代のように,はっきりと明瞭に映る鏡のある時代には,
あまりピンときません。現在のようなガラス製の鏡が発明されたのは,中世の
終わり,14世紀だと言われます。それ以前は,青銅鏡のように,金属の表面を
つるつるになるまで磨いたものでしたので,ぼんやりとしか映りませんでした。
トマス・アクィナスの時代(13世紀)には,ガラスの鏡はまだありませんでし
たから,トマスはこの聖書の表現,「鏡に映したようにおぼろげに」を,言葉
通りに受け取ることのできた世代に属しています。
神さまのことを観想することが,人間にとって最高のことがらである。
―― それは私たち現代人の考え方とはずいぶん違います。私たちは一般に,
そのような,何もしないでただ思いめぐらすということが,最高のことがらだ
とは考えない。まあ,たまに修養会などをして,そういうぜいたくな時間を持
つことは,心の健康にもいいけれども,ずっとそれを続けることはできないと
考えるのが普通です。むしろ,そんな生活を続けるよりも,隣人のために何か
いいことをするという方が,立派な行為なのではないか。たとえばホームレス
の人々を助けたり,病人の看護をしたり,被災地の救援に行ったりすることの
方が大事なことであり,尊いことではないだろうか。
それにももちろん一理はあります。トマスもそのような隣人愛の活動を否定
しているわけではありません。しかし,隣人愛の根底には,神への愛がなけれ
ばならない。神への愛にもとづかないような隣人愛は,本当の隣人愛とは言え
ない,と考えるのです。マタイ福音書22章34-40節の二つの愛の教えが,そ
の根拠になっています。要するに,隣人愛は,神への愛によって支えられるの
でなければ意味がないと言っているのです。隣人愛は神への愛を,自身の前
提として必要としている。しかし,神への愛の方は,必ずしも隣人愛を必要と
していない。いやむしろ本当に聖なるものというのは,あらゆる人間的なもの
を超越したところで見えてくるのだとも考えられますので,そこでは場合に
よって隣人愛でさえも切り捨てるということがあるのです。
つまり究極的に言えば,たとえば私が,ある日突然,家族の前から蒸発して,
たった一人で人里離れたところに行って,ひたすら神さまに心を傾けて,祈り
続け,神さまのことを想い,そのまま誰知ることもなく野垂れ死にしてしまう。
それが極端に言えば観想的生活の理想の姿なのです。古代の終りごろに,「隠
修士」anachoreta と呼ばれる人々が出てきて,それがキリスト教における修道
院制度のもとになるのですが,彼らは明らかに,そういう生き方を理想として
いました。
私は現代人として,一方では,こうした古代・中世の考え方に対して疑問を
持ってもいるのです。いくら神への愛と言っても,それがその人の内部だけで
自己完結してしまって,他の人々のためにということがなければ,それはほと
んど意味をなさないのではないだろうか。それは一種の自己満足であり,本当
の神さまを愛するというよりも,結局は自分の中で作り上げた虚像の神を愛す
ることであり,偶像礼拝のおそれさえあるのではないだろうか。そんなふうに
感じている私が一方にはいるのです。
しかし他方では私は,古代・中世の偉大なキリスト教の先達たちが,まさに
本気でそのように考えていたということを否定できないのです。勉強すればす
るほどそのことがわかります。新約聖書の中のパウロのフィリピ書 1 章に,こ
のような言葉があります。
「キリストこそ私の生であり,死ぬことは私の益である。しかし肉において生
き続ければ,良き実りを作り出せる。どちらを選ぶべきか,私にはわからない。
私は両者から強く迫られている。私にとっては世から去ってキリストと共にあ
る方がずっと望ましい。しかし肉にある方があなたがたのためにはより必要で
ある」(フィリピ 1 章21-24節)
使徒パウロのこの言葉を聞いて,私たちは戸惑うのです。戸惑わない者があ
るとすれば,その人は,パウロをよく知らないのです。パウロこそ,初期のキ
リスト教においてもっとも活動的な人物であったのではなかったでしょうか。
彼の生涯は,地中海世界を股に掛けた,旅から旅の連続でした。パウロほど,
静かで観想的・瞑想的な修道生活に遠い伝道の生涯を送った人は少ないはずで
す。そのパウロが,そのような活動的生活よりも,「世から去って」単純にキ
リストと共にある生活の方が望ましいと心の内で考えていた。「死ぬことは私
の益である」と考えていたとすると,いったいこの世の活動とは何でしょうか。
それは事情のゆえにやむをえず引き受ける仕事であって,事情が許せば一刻も
早く引退して静かな隠遁生活に戻るべきであるような,次善の道でしかないの
でしょうか。いったいパウロは本気でこんなことを言っているのでしょうか。
これが,活動的人物が時折見せる弱気でないとすれば,一種の自己韜晦のよう
なものではないのか,という疑問が湧いてきます。
しかし私は,まさにパウロは「本気」だったと思うのです。いや,パウロだ
けではなく,古代から中世の終わりまでの思想家たちの発言には,この種の言
葉は目白押しで,枚挙に暇いとま
がないほどなのです。単なるレトリックだったと
は到底考えられない。いやたといレトリックだったとしても,それは古代・中
世の精神の根底にあるような一つのレトリックなのです。
こうして,古代から中世へとつながる一つの線がぼんやりと見えてきます。
ここで詳しく文献を挙げることはできませんが11),観想的生活は,古代には
人々の憧れであって,そしてごく少数の人々が,場合によっては自らの死と引
き換えに,わずかに実現できたにすぎなかったのですが,それが中世になって
修道院制度という形で,社会的に現実化した。それは,ヨーロッパにおいて(東
方でも西方でも),キリスト教が絶対的な少数派から,社会の中心になってゆ
く中で実現していった制度の一つであります。そのプロセスでは,獲得された
ものと失ったものの両者があったと思われます。
古代・中世の(すくなくともキリスト教的な)思想家たちは,活動的生活を
観想的生活よりもなんらか低いものとして見ていました。もちろん,彼らは活
動的生活を否定したのではありません。身体的・具体的な活動は,生活のため
に欠くことのできないものであり,従って身体によって生きる人間の本性に
かなっているからです。しかし彼らは,もし状況が許せば,神を観想する静かな
生活に入り,真理を認識する無上の幸福を心ゆくまで味わおうとしたのです。
そしておそらく,このような(現代のわれわれにはもはや忘れられかけてい
る)観想の歓びというものが,彼らにおいては人間のあらゆる行為の基準を考
える場合に,欠くべからざる支点となっていたのです。すなわち彼らの倫理学
の中心に,観想的生活の問題はあったと思われるのです。
3 .古代・中世の思想の背景 ―― 寿命の短さ
たしかにそれは,現代人の観点からはわかりにくい点があるのですが,古
代・中世の人々の生活を考えると,ぜんぜん理解できないことではないのです。
むしろそれによって逆に,私たち現代人が失ってしまった大事なもの,また失
いつつあるものも見えてくるように思うのです。こうした古代・中世の思想家

たちの思想の背景にあったこととして,私は二つのことを考えております。
ひとつは,古代・中世の人々は,近現代の私たちにくらべて,ずっと短命だっ
たということです。ある研究によると,中世の人々の寿命というのは,もちろ
ん個人差や地域差や時代差がありますけれども,平均すると30歳前後だったと
いうのです。中には長生きした人もいるのですが,そういう丈夫な体の人で
あっても,いったん病気になれば,まず死を覚悟しなければならなかった。人
生がそのように短い,たちまち過ぎ去ってゆくものであったということ,しか
も当時は,現代のような病院などありませんから,人々は日常的に,親しい人
が死んでゆくという場面に立ち会っていました。そのような時代には,人は自
分の人生に多くのものを詰め込むことはできません。ひとつのことをやってい
くだけです。そしてそのたったひとつのことでさえも,まだまだその仕事の途
中で,自分の寿命の方が先に尽きてしまうことを覚悟しなければならない。そ
ういう時代でした。
そのような状況を頭に置いて考えると,人々の観想的生活への憧れも,よく
理解できるように思うのです。この世のことがらは過ぎ去ってゆくのですが,
私たちが心を静めて神さまのことに集中しているとき,それはある意味で「永
遠」というものに触れているのです。私たちがこの世でした仕事は,すべて消
え去ってゆく。跡形も残らない。個々人の仕事のみならず,この世界そのもの
が,消滅するという日が,必ず来るでしょう。しかしその中にあっても,私た
ちが神さまに触れた,神さまの言葉に触れて,神さまをおぼろげにではあって
も見た,その幸福な体験だけは過ぎ去らない。それだけは必ず残る。そう考え
るのです。そして私たちが死んだ後で,いつかもう一度よみがえったときに,
その続きがある。中世の人々はそのように信じたのです。トマスの文章の最後
に書いてあるのはそのことです。「この至福は現世ではじまり,来るべき世に
おいて目的に達するのである」。

このことは同時に,私たち現代人が失ってしまったものをも示しています。
私たちはそのような永遠の世界への感受性を,大幅に失ってしまっているので
はないでしょうか。根本的状況は,実は当時とそれほど変わっていないと思う
のです。寿命が延びて,倍以上になったのは素晴らしいことですが,しかしあ
る意味では,単に長く引き伸ばされただけであって,人生が質的によくなった
とは言えません。確かに,私たちの身の周りで,人が死ぬ現場に立ち会うこと
は少なくなったのですが,それは人が死ななくなったのではなくて,死んだ人
や死にそうな人々が,巧妙に,私たちの目の届かないところに隠されているだ
けのことなのです。医療は確かによくなっていて,病気になったからといって,
すぐ死を覚悟しなければならない状況ではなくなりました。しかしその代償に,
医療のもたらす数多くの新しい苦しみも,私たちにはのしかかっています。寿
命が延びたからといって,私たちの老後に充実した人生が待っていると言える
でしょうか。
そのような現代の状況について,つまり死を遠ざけてはいるけれども,それ
から逃れられないという状況について,特に東日本大震災以来,非常に多くの
賢明な人々が気づきはじめていると私は思います。近代人の持っている,ある
いは持たされている自己幻想,一種の全能感という幻想から,覚めてきている。
ポスト・モダンとはそういうことでもあるのです。給料がいいからといって,
大企業に就職して,何十年か働いた後に退職して,というか企業から追い出さ
れて,長い退屈な老後を過ごすよりも,小さくてももっと充実した,できれば
生涯続けられるような仕事をしたいと考える人々が増えています。
4 .中世の身分制度
もうひとつ,中世の思想の背景として,中世は非常に制約の多い社会だった
ということがあります。中世の人々は,封建的な身分制度の中に生きていまし
た。封建的身分とは,つまりは職業のことなのですが,農民なら農民,貴族な
ら貴族で,同じ職業身分に属する人々の集団があって,その集団の掟には,個
人は逆らうことが難しかったのです。身分によって,服装から言葉遣いから,
結婚の相手から,ライフスタイルから,お祭りなどの行事や,学ぶべき教育機
関や教育の内容などが決まっていました。この職業身分というのは,近代の企
業の雇用とは違って,一生涯続くものです。そしてひとつの身分に属する以上
は,その身分の中の秩序に従わなければなりませんでした。どの身分にも,そ
の身分の指導者たちがいて,またその指導者たちの集団というか,会議のよう
なものがあって,その決定には逆らえません。
身分社会というのは,序列のある社会でした。ひとつの身分の中に
序列があって,全員がタテ一列に並ぶような社会です。身分と身分の間の序列,たと
えば貴族と農民の間の区別というものももちろんあったのですが,一般的には
あまり意識されてなくて,むしろ身分の中の
序列の方が,人々の関心事でした。
数多くの身分集団があって,それぞれが別のライフスタイルや教育システムを
持っていました。現代と比べると,非常に多様性のある社会ですので,ある意
味で面白かったと思います。
中世は制約が多かったというと,私たちの多くは,それは不自由な,そして
不幸な時代だったと一方的に考えがちですが,必ずしもそればかりではありま
せん。なすべきことが決まっている社会というのは,全体としてみれば幸福な
人々の多い社会だったとも言えます。一日の労働時間は 4 時間から 6 時間ぐら
い。競争社会ではありませんから,絞りかすになるまで働かされることもあり
ません。今よりもずっとのんびりした社会だったと思います。現在,世界で最
も国民が幸福と感じている国は,ブータンという国だそうですが,中世もそれ
と似ています。しかし,人々の中には,この身分秩序の制約を,不自由で不幸
だと考える人々もいて,その人々にとっては,苦しい社会でした。あるいはひ
とつの身分秩序の中で,たとえばパン屋ならパン屋の同業者組合 Zunft, guild
の中で最下層にある人々にとっては,苦しい時代でした。またあらゆる身分の
外に置かれたユダヤ人にとっては,特に12世紀以降は,厳しい時代だったとも
思います13)。
そういう制約の多い社会だったのですが,例外的に,そのいったん定まった

身分から出ることも可能でありました。それが修道院であります。つまり,修
道院で観想的生活をするということは,世俗の身分の制約から自由になるとい
うことを意味していたのです。もちろん,修道士になれば結婚はできませんし,
ある程度教養がないと,聖書を読んだり,長時間観想することもできませんか
ら,その意味での別の制約はあります。せっかく身分から出て,修道院に入っ
ても,勉強が嫌いだったりすると,以前よりもっと苦しいことにもなりかねま
せん。
―― 余談ですが,ここにおられる新入生の皆さんに申し上げたいのですが,
私たちがいるこの「大学」という制度は,「修道院」制度を母体として,中世
の12,13世紀ごろに,そこから生まれてきた制度のひとつであります。ですか
ら大学には,中世の修道院と同じ要素がかなり残っています。つまり,勉強が
大好きな人々にとっては,ここは天国です。勉強に役立つものが,図書館をは
じめとして,勉強を助けてくれる教員たちや,各種の授業や,この講演会もそ
の一つですが,その他にもいろんな行事があるからです。しかし勉強が嫌いな
人にとっては,大学は地獄みたいなものです。まあ,覚悟しておいてください。
中世の修道院制度というものを背景にして考えてみると,トマス・アクィナ
スの言っていることがわかってきます。トマスはもちろん,勉強が大好きな人
でしたが,自分にとってのみならず,勉強の好きな人にとっても,嫌いな人に
とっても,人間であるかぎりすべての人間にとって,最高の幸福は,神さまを
知ることだと言うのです。神さまと言っても,聖書の神さまだけとは限らなく
て,自然を知ることも,間接的に神さまを学ぶことです。自然を学ぶこと,そ
して数学とか,天文学とか,あるいは音楽とか,様々な学問の中に,間接的に,
神さまがおられる。真理が存在するところには,神さまがおられる。真理
veritas, truth, Wahrheit とは神さまの別名だからです。ですからトマスは,神さ
まそのものを学ぶ観想的生活はこの世における最高の幸福な生活なのだと
言っているのです。
‹2›

近代哲学応用

自然科学 とい うの はい うまで もな く自然 につ いての知 的探究 であ る。 しか し現代 で
は科学 はます ます専 門化 し細 分化 してお り、 自然 科学 につ いてのその ようなイメージ
はます ます抱 き難 くなってい る。そ れが また現代 で は科学 に対 して過度の不信 を引 き
起 こす ような ことに もなってい る。 その ような 場合、 自然科学 とい っても元 来、あ る
自然観 あるい は 自然 哲学 の発展 形態 である とい う観 点 にた ち戻 り、そ こか らそれを捉
え直す試 みが 時 に必要 ではないか と考 え られる 。いわ ば科学 を哲学 に引 き戻 してみ る
ので ある。以 下の小論 はその ような見地 か ら、 近代 にお ける自然 哲学の展 開を素 描 し
てみた もの である。
近代の 自然観 ない し自然 哲学の展 開において 初め に決定 的な役 割 を演 じたのはい う
までもな くデカ ル トで あ る。物 理学 史上 では、 近代の 物理学 の形成 は ガ リレオか ら
ニ ュー トンへ とい う路線 で理解 されるこ とが多 いが、近代 の機械論 的で数学 的自然 学
とい う形態の もとで の自然観 を一貫 した仕 方で統一 的に設定 したのはデ カル トである。
デ カル トは例 えば、 ガ リレオ に至 るまで支配 した、 円運動が宇 宙の秩序 を構成 する永
遠の一様運動 である とす る考 え を否定 し、直線 慣性 運動の概念 を提示 す ると ともに、
無限(無 際限)宇 宙の考 えを物 理学的根拠 に基 づいて打 ち出 したのであ る。 このデ カ
ル トの 自然哲学 は二つ の主要 な柱 によって支 え られてい る。一 つは 「物質即延長 」の
テーゼで あ り、これ に よって幾何学的 延長(空 間)と 物質 とが相即 的 な もの と解 され、
われわれが想像 する無 限な空間が物質 と一体 とな って宇宙そ の もの を構 成す る と考 え
られる。 また 、 これ とと もに時間(持 続)も 物 質の様 態 と見 なされ、物質 と空 間 と時
間 とがいず れ も相即 的 に理 解 され る。この見解 が特 に根拠 となってデ カル トでは、い
わ ゆる 「渦動 説」 に基 づ く宇宙生成論が展 開 され ることになった。第二の柱 は 「自然
法則」 の概念 であ る。 これは具体 的には、慣性 運動の概念 、物体 の基本的 な運動 は直
線運 動 である とい う考 え(こ の二つの法則か ら上 述の直線慣性運動 の概 念が成 立する。
この概念が無 限宇宙の物理 学的根拠 となる)、 運動量恒存 の原理 に基 づ く衝突法則 、
か らなる。自然 現J般 が あ る少数 の不変 の法 則 に したが って生起 する とい う考 えは
近代科学 の見 地で は自明の ような こ とであるが 、 これ はデ カル トに よって初 めてはっ
き りと提示 された もの である。 これによって、物 理的 自然が 自然 自身のメ カニズ ム に
従 って 自律的 に展開す る とする見地が敷 かれる ことになった。 デカル トは自然法則 と
い うものが物理 的 自然 の構 造や歴史 をそ れ 自身 は不 変 なままに規 定する と考 え、その
不変性 の根拠 は世界 を創造 し保存 す る神 の作用 の不 変性 に求め た。
この ようなデカル トの 自然 哲学 はあ る独 自の形而上 学あ るい は認識 論 に基づ け られ
ている。第一 にデカル トにお いて は、わ れわれ が数学 的知性 に従 えば想像 す ることは
可能な無限空 間 とい うものが 実際 に宇宙 の実在 の物 質構 造 と一体 であるな どとどう し
て主張で きるのか、あ るい は、数学者 にとって は 自明な直線 の概念が 自然 現象 にお け
る基本 的 な慣性運動 を構 成す る とどう していえ るのか、 とい うことが 問題 であった 。
無 限宇 宙 とい う もの も直線慣 性運動 とい う もの も、いつれ もこの知覚 的世界 におい て
経験 的に観 察 しようの ない ものである。 この 問題 に対 してデカル トは、われわれが 自
分 の知性 によって明晰判明 に認識 で きる数学的 対象 とい うもの は神 はその無 限能力か
らして この 宇宙の 内 に創 造 し現実化 しうる とい う、彼に独 自の創 造論に よって答 えた 。
われわれの知性 は感覚 経験か ら抽象 された もの ではない数学 的観念 を明証 的 に無 尽蔵
に認識 する ことが で き(数 学的観念 の生得説)、 その ような明証的 な数学 的観念 に対
応す る ものを神の無 限能力 は物理 的 自然 の うち に産 出 しうるはずであ るか ら、人間 は
その ような対 応を確信 して科学的探 究を推進 して よい とい うの である 。デカル トで は、
人 間の感覚経 験 を越 えた数学的理論 的概念 を自然 現象の解 明に適用 し、 と りわけ無 限
宇宙の 自然観 や宇宙生成論 を展開 しようとい う構 想 は、 この ような神の無 限能力 の形
而上学 や認識 論上の生得 説 に支 え られていたの であ る。
さて 、このデ カル トの自然 哲学 は一方 でニュ ー トン力学の形成 の源泉 となる ととも
に、他方 でそれ によってその限界 が露呈 される ことになった 。まず、 この 自然哲学 の
第二の柱 である 自然 法則 の内容やそ れに基 づ く円運動の分析 といった もの はニュー ト
ンに受 け継が れ、彼 にお ける力学の形成 の決 走 的な土 台 となった。 この点 はニュー ト
ン自身の デカル ト批判の言辞 に もかか わ らず、歴 史的 に実証 されている。 しか し、 も
う一つ の 「物 質即延長」 のテ ーゼ を柱 とす る側 面の方 はニュー トン力学の構想 と相入
れず 、そ れに よって はっ き り退 け られる ことにな った 。第 一に、物質即延長 説 によれ
ば、物質 と独 立のそ れ 自体 空虚で不 動の絶対空 間 とい う ものは認め られない。空間や
位置 とい うものが物質 と相 即的 にのみ理解 され 、物質 と相対 的 にのみ把握 され,ること
か ら、それ 自身不動 の一点 という ものは認め られ ない のである。その結果 、運動 はす
べ て相対 的 とい うこ とにな り、 「不 変性 」 とい う ものは空間や時間の方 ではな しに神
の不変 的作 用 に基づ く自然 法則 の方 に求め られ るのである。第二 に、デカル トの この
説 に従 うと、宇宙全体 が微 細物質 に満た されてお り、宇 宙のあ らゆる部分 が厳 密 には
相 関 してい るこ とになって、 地上 の諸現象 につ い て も地球の 回 りの宇宙 の物 質構造 や
微細物 質の運動が波及 す る と考 えざ るをえな くなる。いいか えると、デカル トの 自然
哲学 では、地上 の物 理学 と宇 宙論 とが不可分 の 関係 にあって、前者 は後者 にもとつ い
て展 開 され るこ とにな り、 さ らには宇宙の物質 分布 や構 造 も宇宙生成論 の見地か ら解
明 される ことになるので ある。実際 にデカル トの 自然 学が展 開されている 『哲学 の原
理」はその ような見 地か ら構成 され てい る。デ カル トの 自然学 はホー リステ ィ ジクな
「宇宙論的物理学 」 とい う形 態 をとっているの である。
このデ カル トの 自然哲学 は、 この ようなホー リステ ィックな宇宙論 的物理学 とい う
性格の ゆえに、質量 や加速度 あるい は重力 とい った基 本的 な力学概念 のニ ュー トン力
学的 な定式化 を阻む こ とになった。第一 に、 この 自然 学 では物体 は微 細物質 に よって
充満 した空 間のなか を運動 する と考 え られるか ら、物体 の運動 は本 質的 に物体 の回 り
の物質 との近接 関係抜 きに考 え られない。 した がって物体の慣性 質量 とい う性 質 を、
物体の表面積 の ような形状 を切 り離 しては規定 す ることが で きない。 デカル トの 自然
学 では、ニュー トン力学 の:場合の ように、慣性 質量 を質量 中心 に局所化 し、それ を慣
性質量 の重力 質量 との経験 的一致 を根拠 に して 重心 と同一視 して、質量 中心 の運動 を
重心の運動 とみ な しなが ら物 体の運動 を記述す るとい うこ とが原理的 にで きないの で
ある。
同様 の ことが加速度 や重力 について もい える。 デカル トは物 体の 自由落 下の問題 を・
青年 時代 にベ ークマ ンとの共 同研究 で と りあげ 、そこでは真 空や地球 の引力 あるい は
落 下の際の加 速度 とい うもの を認 めていたの で あるが 、 「物 質即延長」説 を柱 とす る
独 自の 自然 学 を形成 した段階 でこれ らの概念 を根拠 のない もの と して否 定 した。 とい
うの も、真空の否定 はその テーゼか らの 当然 の帰結 として、加速度す なわち物体 の速
度 の変化 につい ていえ ば、物体 が微 細物質が充 満 するなか を運動す る と考 え られる こ
とか ら、 これ は物体 を取 り囲 む微細 物質の運動 と相対 的 に しか規定 で きず、 した がっ
てそれが到 る ところで定量的 に一定であ る とは いえない と考 え られたか らで ある。重
力 については、 これ も引力の ような遠隔力 とは解 されず、地の嵩 高い物体 が 、天 に満
ちていて直線 慣性運動 を続 け よう とする微細物 質 に よって地球 の中心 方向へ と追 いや
られるこ とだ と理解 される。重力現象 は天の微 細物 質に よる地の物質 に対 す る圧力 す
なわち近接作 用 なの である。そ して これ も微細 物質 の運 動 と相対 的な ことと考 え られ
るこ とか ら数量的 な定式化 は試 み られてい ない。 この ようにデ カル トの 自然 学で は、
地上の現象 の分析 にお いて も天 の微細物 質の運 動 や宇宙 の物 質構造が考慮 されね ばな
らない と考 え られた 。 「相当単振 り子の運動」 の ような身近な現象 の分析 で さえ もそ
の ようなこ とが考慮 される ほどなのであ る。
この よ うにデ カル トは一方で古典力 学のベ ース となる 自然 法則 を提示 し、 また静力
学 を初め とす るい くつかの特殊 な問題 におい ては物 理学史上 に残 る業績 をあげなが ら、
他方で ニュー トン力学 の形 成 に至 る道か らはず れ るこ とになった。 自分 の 自然 学 は数
学的 自然学 であ ると標榜 しなが ら、実際 には数 学的定式化 はあ ま り展 開 され ることは
なか った のであ る。そ れは、デ カル トが 自分の 物質即延 長説 に基づ くホー リステ ィ ッ
クな宇宙論 的物 理学の構想 に過度 に忠 実であ ったか らである。パ ラ ドクシカルな こ と
に、彼が設定 した直線慣性運 動の法則 や衝 突法 則 は彼の 自然学 によれ ば現実 の物 理的
自然 におい ては厳 密 には実現 され ない ものであ った。 なぜ な ら、物 体の運動 はそれ を
取 り囲む微細物 質の運動 と相 対的 にまた物体 の 表面積 を考慮 にいれて しか規 定で きな
いので、その ような法則 は厳 密 に実現 され うる もので はなか ったか らである。科 学方
法論的 にい えば、デ カル トは地上の現象 の分析 において も彼 のホー リステ ィ ックな 自
然 学に文字通 りに忠実 であ りす ぎて 、その ような現象 を近似 的な手法 で、 そ こで は宇
宙の物 質構造 や天 の物質 の運 動 との 関係 を考慮 にいれ る必要 はない とい う仕方 で扱 う
ことがで きなかったので ある。
デカル トの 自然 哲学か らニュー トンの 自然 哲学 への展 開は、デカル トの 自然哲学 の
二つの柱 の うちの第二の 「物 質即 延長」説 を退 け、第一の 「自然法 則」の 内容 の方 を
発展 させて、 それを主軸 とす る形 の 『自然 哲学 の数学 的原理』 を確 立 させ る過程 であ
る とい うことが で きる。 この過程 にホ イヘ ンス の仕 事や 自然哲学が介 在 し、 それはそ
の ような過渡 的状 況 を反映 した もの となってい る。実際 にホ イヘ ンスは第一 に、宇 宙
論 にお いてはデ カル トの理論 を受 け継 ぎ、重力 の原 因を天の極めて微細 の流 動物 質が
粗大 な物 質部分 を地 球の 中心 の方 に押す こ とで ある と解 してい る。第二 にホ イヘ ンス
は、光 の本 性の理解 におい て もデカル トの考 え を発展 させてい る。光 の本性 を球面波
と見な して、光 の波 動説 をはっ きりと打 ち出 したのはホ イヘ ンス であるが、 これ に先
立ち、デ カル トが光 の本質 を波 と見 なす見解 を示 していた。デ カル トは彼 の充満宇宙
の宇宙論 に忠実 に、光の本 質 を 「物体の移動 」 ではな く、恒星 を構成 する最 も微細 な
物 体の運動が それ を取 り巻 く天の微細物 質 に対 して行使す る圧力 を起 因 と した 「作用
の伝播」 である と解 していた。 さらに彼 は光 の本 質 に、波の二 つの特 性、す なわち、
あ る一点 か ら光 線が放射状 に伝播す る とい う性 質 と、 同 じ一点 を多 くの光線が 同時 に
通過す る とい う性質 とを帰 属 させ ていた。ホ イヘ ンス はこの考 えを継承 して、それ を
洗練させ たのであ る。それ に加 えてホ イヘ ンスは、物体の 落下の加 速度運動について、
ガ リレオの定 式 は極 めて限 られた条件 の もとで は認め られる としなが らも、デカル ト
と同様 に、空間 に充満 する空気の存在 を物体の 落下の本 質的条件 と して考慮 されな け
ればな らない と考 えて、その定式 はある程度以 上 の距離 では妥当せず 、実 際には けっ
して観察 されない と考 えた。
この ようにホ イヘ ンス は重力 の原因や光 の本 性 あるいは物体 の落下 といった宇宙論
に関わる事柄 についてはデ カル トの 自然哲学 の路線 を継承 した。 しか しなが らホ イヘ
ンスは、身の 回 りの よ り具体 的な現象の分析 にお いてはデカル トの宇宙論 的物理学 の
論理 には従わず 、その結果 、地上 の物理現象 の定量 的分析 に成功 して、古 典力学の形
成 におおい に寄与 する ことになってい る。 ホイヘ ンスは実際 に、地上 のロー カルな現
象 の分析 におい ては天の微細物 質の圧力 と して の重力 とい う考 えを介 入 させず、物 質
量 と重 さ、す なわち慣 性質量 と重 力質量 とを同 一視 して、あ る質量 の物体 の運動 をあ
る重 さを持 った物体 の運動 として理解 している(2)。その結果 、衝突 法則や 円運動 の加
速度の定式化 、あるい は相 当単振 り子の 一般解 の獲得 に成功 している。 この ような問
題 はいつ れ もデカル トが部分 的 に しか解 明で きず、それ もデカル トの ように物体 の表
面積や物体 の回 りの微細物 質の運動 を考慮 にい れね ばな らない と考 え続 けた のでは数
量的定式化 に成 功で きない もので ある。ホ イヘ ンス はこれ らの地上の物理学 の問題 の
分析で はデカル トの宇 宙論 的 な自然哲学 に従わ なか った のである。そ の結果 、デ カル
トの自然学 か らは帰結 させ えない 「質点力学」 とい う ものを準備 す るこ とになったの
である。
近代における自然哲学の展開
さてニュー トンにおいて は、ホイヘ ンスが一 方 で加 担 していた デカル トの宇宙論 的
物 理学 の構 想が決 定的 に退 け られ、 デカル トの 自然 法則の方 を基盤 とした 自然哲学 が
はっ き りと確立 され る。第 一 に、デ カル トの 「物 質即 延長」説が否 定 され 、周知 の よ
うに、それ 自身、物 質 と独立 の 「絶対空 間」 とい うものが措定 される。 これはニュー
トンによれ ば 「神 の感官」 あるい は 「神 か らの 流出の結果」〔3)であっ て、物質 と相即
的な もので な く、それ 自身、永遠で不動 の もの である。 これが絶対 静止系 と して、個
個の物体の運動 の確 定的記述 のため の絶対 的な基 準系 と しての役 割 を果たす ことにな
る。 この ような絶対空 間が想定 された結 果、デ カル トの ように運動 をある:場所 か ら他
の場所へ の 「相 対的位置変化 」 との み解 す る必 要 はな くな り、絶対空 間 との関係で絶
対運動 という ものが考 え られ る。 ニュー トンはその絶対運動 を回転運動が 引 き起 こす
遠心力 の効果 に認め られる と考 えて、それ を水 の入 ったバ ケツの回転運動 を例 に して
説 明 した(こ れ は後 で言 及す るよ うにマ ッハ に よって批 判 され ることになる)。
ニュー トンの 自然哲学 で はまた 、 この ようにそ れ自身不動 で空虚 な絶対 空間 とい う
ものが想 定 された結果 、物体 の性 質 につい て も表面積 や体積 とい った形状 は物体 の運
動 に とって本質的 に考慮 しなければな らない要 素 でな くな り、物体 の性 質やその運動
の様態 は もっ ぱ ら絶対 的な基準系 と しての空虚 な絶対 空間 との 関係 で定める ことが で
きる ことにな る。そ こで実 際に質量 概念 につい て も、物体の表面積 や体積 は物体 の質
量 に とって本質的 では ない とい うことにな り、物体 の質量 はそ の質量 中心(質 点)に
集 中 させて よい とい うことになる。他方 、ニュ ー トンは振 り子 についての実験か ら、
物 質量 す なわ ち慣性 質量(こ れはニ ュー トンで は密度 と体積 との積 と定義 される)が
重 さに比例す る とい うこ とを確 かめ る。 こ うしてニュ ー トン力学 では、重力 の ような
外 的な力 は物体 の形状 に関係 な しにそれの質量 中心 に働 くと考 えて よい こ とにな り、
また物 体の 運動はそ の物体の 質量 中心す なわ ち重心の 運動とみ な して よい ことになる。
ニ ュー トンはこ の ような考 えが デカ ル ト派 の考 え と抵触 す るこ とを意 識 して お り、
『プリンキ ビァ』の第二版 に付 け加 え られた 「一般的注解」 のなかで 、重力 とい うの
は、物体 の中心 にまでその力 をまった く減 じる ことな く進入 し、粒 子 の表面積 の量 に
従 ってではな しに、 その固い物質 の量(質 量)に 従 って働 く原 因に起 因する とわ ざわ
ざ断っている。
この ようなニ ュー トンの力学が確 立 された こ とに よって、物 体の運動 は絶対基準系
としての絶対 空 間に対 す る、 質量 ない し重 さが それに集 中す る質点 の運 動 と して一義
的 に記述 され ることになる。絶対 空間 と質点の 概念 とい うのがニュ ー トン力 学の枠組
み を構成 する二つの柱 とな るのである。そ こで 地上の物体 の運動 を、デカル トの 自然
学 にお ける ように、いちいち宇宙 の物質構 造や 宇宙の生成 に まで遡 って、そ こか ら解
明す る必 要は な くな り、その ような もの を考慮 にいれる ことな く、ただ絶対 空間 とい
う ものを基準 と して物体 の運動 を確 定的 に記述 で きるこ とにな る。 いいかえる と、:地
上 の物理 学は宇宙論 とまった く独 立 に成立 し、 む しろ天体現 象 は地上 の物理 学の延長
上 で解 明 され る とい うことになるのであ る。ニ ュー トン力学の成功 は一つ には、地上
や地球 の回 りの物理学 を宇宙生成 論の ような遠 大 な宇 宙論か ら独立 の もの と して、 そ
の領域 の現象 を宇宙論 的考察 な しに解明 で きる枠組 みを与 えた ことに よる。そ うい う
限定 された枠組 みのなか で初 めて現象の数学 的解析が 可能 になった のである。デ カル
トの宇 宙論的 自然学 は、当時 の実験の規模 や数 学 的技術 に比 してあま りに遠大 で、そ
のホー リステ ィ ックな論理 に従ったの では とて も現象 の数学的分析 を施 しうるもので
はなかったの である。近代 の数学 的物理学 はニ ュー トンの力学 とい う形態の もとで初
めてシステマ テ ィックに推進 される ことになっ たのであ る。
しか し、 このニュ ー トンの 自然 哲学 とい うものが近代 にお けるデカル ト以後の 、唯
一の 自然哲学 の趨 勢で あったわけで はない。最 後 に触 れ るように現代 では状況 は一変
してい る。 またニュ ー トン以後、解析力学 が形 成 され る過程 で も、なおデ カル ト的な
宇宙論的物理学 の構 想 に執着 した物理学者 もい る。例 えばオ イラーがそ うである。オ
イラー はデカル トや ホイヘ ンスの路線 上にあっ て宇宙論 的考察 を継承 し、真空 を否 定
して宇宙は微細物 質に満 たされて いる と考 え、重力の 原 因も微細物質の圧 力に帰 した。
またオ イラーは光の本質 について もデカル トや ホ イヘ ンスの波 動説 をさらに発展 させ
た。振動数 とい う概念 を導 入 して 、光 を周期 を持 った波動の伝播 と見 な した のはオ イ
ラーで ある。オ イラーは さらに磁 気現象 につい て も、 これを渦動説の視点 か ら解 明す
ること も試 みた りしている。 しか しオイ ラーはい うまで もな く、質点力学 を形成 し、
さ らには解析 力学 を創始 した人物 である。彼 は、物体の全質量 がある一点 に集 中 して
い るとみな し、運動方程式 をあ る無 限小 の物体 に適用す る とい う質点力学 の考 え を確
立 した 。またその運動 方程式 を微分 形式 で初め て表 した 。オイ ラー にはデカル ト的 な
自然哲学 とニュ ー トンの 自然哲学が 混在 してい るの である。
オイラーは宇宙論 の レベ ルではデカル トの路 線 を受 け継 いでい るが 、具体 的な物理
理論 の レベルで は二 つの本質 的な点であ き らか にニュー トンの見地 に与 している。第
一 に彼 はデカル トの 「物 質即延長」 説 に言及 しなが らこれ をはっ きりと排 し、物体 と
空 間 とを区別す る⑤。 また この点で はラ イプニ ッッ にも反 対 して、空間 を物 体の 間の
単 なる 「共在 の秩序」 と見 なす考 え を排 除 し、 ニュー トンと同様 に絶対 空間の存在 を
主張す る。オイ ラーに よれ ば、 あ らゆる物 体 は可動性 を備 えてい るが空 間はそ うでは
な く、物体 に属 す る延 長は動いて も位置 や空間 自体 はいかなる運動 も受 け入 れない。
オイラーはその空 間を絶対 空 間と見 なすの であ るが 、それ をニ ュー トンの:場合の よ う
に一方的 に措 定 してす ませ る とい うのではな しに、次 の ような力学的根拠 に従って措
定す る。 まず 、慣性 法則 は もち ろん力学 の基 本 原理 と認 め られるが、そ れが認め られ
るため には、直線等 速運動 をす るとされる物 体 の方向 の同一性 が確 証 されるので なけ
れ ばな らない。 しか し、そのため には、それ との関係 で物体 の運動の方向 の同一 性を
定める ことの で きる絶対 的な不 動の空 間ない し位 置 とい う ものがなけれ ばな らない。
換言す る と、慣性 法則 とい う原理の措定 じたい が論理的 に絶対 空間す なわち絶対 静止
系 とい うものの存在 を要請す るので ある。
オ イラーはまた一方で宇宙 は微 細物質 で充満 してい ると考 え、重力 は微細物 質の圧
力 に起 因す る と見 な しなが らも、物体の全 質量 が質点 に集 中す る と見な しうる とし、
物体 の重 さと質量 とは比例す る と認め て、物体 の運動 を質点 ない し重 心の運動 と解 す
る。そ う して物体 の運 動 に数学 の 「解析(微 積 分)」 を適用 して質点力 学 を展 開 した
のであ る。 この ように オイラ ー は、実 際 の運動 現象 の 分析 は 絶対空 間 と質 点 とい う
ニュー トン力学 の本 質的 な枠組 みの もとでお こ ない、ニュー トン力学 の形式的洗練 に
お お きな役 割 を果た したの である。
さて、 この ような状 況 にあってニュー トンの力学 の普遍的妥当性 を認 識論的 に基礎
づ け ようとした のが い うまで もな くカン トであ る。カ ン トの理論 哲学 の仕 事 とはある
意味 で、デカル トに発 する宇宙論 的な 自然 哲学 の展 開か らニュー トンに よる地上の物
理学 を軸 とした 自然哲 学の確立へ とい う自然哲 学 の変 遷 を自らその変 遷を体 現 しなが
ら認識論 的に正当化 しようと した こ とであ ると もいえる。カ ン トはそ の長い学問的経
歴の 当初 にお いて は自然 哲学や宇宙論 におおい に関心 を持 ち、概ね ライプニ ッツの見
地 に与 しなが らニュ ー トン力学の成果 を も考慮 にいれ て自分 の考察 を展 開 した。カ ン
トの処女論文 は 『活力測 定考』で あ り、 これ は運動量 の保存 か活力の保存 か とい うデ
カル ト派 とライ プニ ッツ派 との論争 の調停 を企 てた もの である。それ に引 き続 きカ ン
トは 「天界 の一般 自然 史 と理論』 と 『物理 的単 子論』 という、宇宙論 と自然哲学 につ
い ての書物 を表 した 。
この うち 『天界 の一般 自然 史 と理論』ではカン トは宇宙 の体系的統一 につい て論 じ、
さらに後 に 「カ ン ト ・ラプ ラスの星雲説 」 と して名 を残す こ とになった宇宙生成 論 を
展開 した。 ここでカ ン トはまず太陽系 を手掛 か りとして 、これを太陽 を中心 とした共
通平 面上 を諸惑星 が回 る一 つの体 系 と見 なす。 ついで、 この ような太陽系 との アナロ
ジーか ら天界 全体 を考 察 し、太陽系 自体が他 の多 くの恒星 とと もに銀河系 の共通平面
上 を公転 す ると考 える。 カン トは この銀河系 に も、太陽系 に太陽が ある ようにある中
心が ある と想定 して、それ はシ リゥスで はない か と推 定 してい る。 そ して この ような
銀河系が 無 限宇 宙の なか に無 数 にあ って、 あ る中心体 をめ ぐっ て無 限級 数の ような
「体系的体制 」 を形成 する と考 えた。カ ン トは さらに、この ような体系的体 制が一挙
になった ものでは な く、次 の ような宇宙 自体 の 必然的 な生成過程 の結 果 と して形 成 さ
れた と見 な した。すな わち彼 は まず 、宇 宙の始 源 を根 本的物質 の普遍的分散状態 と想
定 し、 これ は質 的な密度の違 いか ら無限 の種類 の要素か らなる と考 えた。 また物 質に
は根 源的力 と しての 「引力」 が内在 している と見 な し、,こ れが働 く結 果、密度の大 き
な物 質が 密度の小 な るものを引 きつ けてその中心へ と落下 させる と考 える。ところが、
物 質には もう一つ の根 源的力 として 「斥力」が ある と考 え られ、 これが作 用するた め
に、そ の落下物質 は側 方に追い や られる ことに な り、こ うしてその物質 は円運動 をお
こなうこ とにな ると考 え られ る。 この ようにカ ン トによれば、多様 な物質 の分散状 態
におい て引力 と斥 力 という二 つの根源 的力 が働 きあ う結果、宇 宙は必然的 に上述 の よ
うな体系的体 制 を構 成す る ことになる と考 え られる。
この ようなカ ン トの初期 の宇宙論 につ いて二 つの点が注 目される。第一 は、この よ
うな宇 宙 自体 の体系 的統一 の形成 過程が 、神 の世界創 造 にお ける企 画の実現過程 と見
なされてお り、諸 実体 か らなる宇宙の調和 と秩序の形成 の根拠 が、そ の 「共通の原 因」
と しての神 の最高叡知 に求め られている とい う こ とである。言い換 える と、 この時期
には、この ような宇宙論 的考察 に よって宇宙の 調和 と秩序 の実現過程 を知 る ことは神
の存在 の 自然神 学的証 明 にな ると考 え られ てい たの である。第二 は、この宇 宙論 にお
い ては宇宙 の体 系的体 制が引力 と斥力 とい う相 反す る二 つの根 源的力 と見 な される も
の によって形成 され る と考 え られ ている ことで あ る。 カン トは この時期か ら引力 と斥
力 とい う二 つの根 源的力が物 理的実体 の実在性 を構 成す るとい う考 え をとってお り、
この考 え は 「物理 的単子論』 におい て展 開 され る 自然 哲学で さ らに展 開 され ている。
近代における自然哲学の展開
それ に よる と、物体 はそれが実体 的形 而上学 的 に究極 の在 り方 にお いて把握 され る
場合 には不可分 のモ ナ ドとして理解 されな けれ ばな らなず、そのモ ナ ドが 自らの根源
的 な 「作用力」 によって空間 を満た す結 果、内 包的 な作用域 が形成 され、 これが不可
入 な物体 を構成 する こ とにな ると考 え られる。 ここで、物体 に は根源 的な作 用力とし
て引力のみ な らず斥力が考 え られ、 これは距離 の三乗 に反比例 する と見 な される。こ
の斥力が距離 の二乗 に反比例 す る引力 と拮 抗す ることから作用域が構成されると考 え
られる。そ こで、根 源的 には この ように して形 成 され る内包 的な作 用域 としての物体
が外延的現象 的に捉 え られる と、そ れは幾何 学 的空 間的規定 に従 うことにな り、無 限
分割可能な もの と見 なされる。この考 えは、 この書物の題 名か らも推察で きる ように、
ライプニ ッツの 「モ ナ ドロジー(単 子論)」 の 自然哲学 を踏襲 した もの である。 ライ
プニ ッッは、物体 を形而上学 的 に 「原始 的力」 と解 される個別 実体 と してのモナ ドか
らなる と考 え、空間の方 は、諸実体 に対 して認 識主観 と相対 的 に設定 され る一種 の現
象 的関係す なわち 「共存す る ものの秩序」 とみ な してい た。 カ ン トは この よ うな、物
体の実在性 を構成 す るのは力 であ り、空 間は諸 実体の 間の現象 的関係 に他 な らない と
す るライプニ ッツの見地 を引 き継い だのである 。ただ しカ ン トは、 ライプニ ッッの よ
うに物体 を最終 的 に精神 的な実体 す なわちモナ ドに基礎づ けるので はな く、あ くまで
物 理的実体 とみな してお り、 また物理的 な力の概 念で もライプニ ッッの ように絶 対的
な正量 と しての 「活 力」 だけを考 えるの ではな しに、引力 と斥力 とい う二 つの相 対立
する力 を考 えている。 また カ ン トは力 をこの よ うに解す る結果 、物 理的実体 間の実在
的な交流す なわち 「相互作用 」 を認 め、 空間は その ような力が張 り合 う作用域 の派生
的で外 面的 な関係 と考 えてお り、 この点 で もライ プニ ッツとは異 なっ てい る。この よ
うな、引力 と斥力 とい う二 つの根 源的力が 張 り合 い、そ れが物体 の実在性 を構成 する
ことになるとい う考 えは晩年 にいた るまで一貫 して保 持 され る⑭。
カン トはこの ように初期 には 自然哲学 を形市 上 学あ るい は自然神 学的見地 か ら基 礎
づけ ようとす る とともに宇宙 の体 系的統一 の形 成 を宇宙生成論 の立場か ら論 じた。 し
か し、 この ような考 えは周知 の ように、 カ ン ト自身の 「批判哲学」 によっ て根本 的 に
改変 され るこ とにな る。第一 にカ ン トは絶対 空 間 につい ての オイラーの論文 に刺 激 さ
れ、絶対空 間の存 在 を承認 し、それの 認識論的根拠 づけの必要性 を感 じるこ とにな る。
そ こで カン トが その根 拠 と認 めたの は人 間の感 性様式 の独 自性 である。例 えば人間の
右 手 と左 手 とい うの はその 内容規 定が 同 じであ るに もかかわ らず実 際 には重 ね合 わす
ことがで きない。 これ は人 間の感性界が知性 的形 而上学 的規定 に還 元 しえない認 識上
の独 自の源泉 である ことを示 してい ると考 え られる。人 間一般 にその ような空 間に関
する独 自な感性形 式が アプ リオ リに備 わってお り、それが唯一不変 の絶対空 間 とい う
もの を人 間の経験 に課す るのだ と考 え られるの である。 この こ とは、初期の ように、
空間を、諸実体 が力 を作用 しあって構成す る作 用域 に帰属 し、それに派生す る現象 の
形式であ る と見 なす ことはで きない とい うことを意味する 。さらに この ような見地 が、
ヒュームの 「因果性 」 に関す る懐 疑論的分析 に接 した ことが契機 とな って 、相互 因果
性 や共存 性 とい った思惟形式(カ テ ゴ リー)に ついて も適用 される。 これ らのカテ ゴ
リーは初 期の 自然神 学的立場 では、神の知性 に まで遡って根拠づ け られる諸実体 の知
性 的世界 の形式 であったが 、それが人間意J般 の方 にアプ リオ リに備 わ っている思
惟 形式 と見 なされる ことになるので ある。
こうして空 間や時間や知性 のカテ ゴリーは人 間一般 に主観的 な感性 と知性の認識 様
式 と考え られ、物理 的実体や その間の関係 は、形 而上 学的ない し神学 的に神 に根拠 づ
け られるので はな く、人 間の知覚 や意J般 に対 する現象 とい う資格 で人間的視野 の
もとで規定 され るこ とになる。 この ことは一方 で、人間の認識様式 と独 立の物 自体 と
いうもの は人 間の学 問的認識 の対 象 とはな りえ ない とい う帰結 をもた らす が 、他方 で、
人間は何 であ れ経験対 象 を認識 する:場合 には これ らの感性 と知性 の形式 に従 って しか
認識 で きない という ことを意 味 し、そ こか らこ れ らの形式は人 間の認識 の対象一般 に
対 して普遍的 に妥 当す るとい うことが主張 で きるこ とになる。 ここにいわ ゆる 「超越
論 的観念 論」が成 立す るこ とにな る。時間、空 間や知性 の カテ ゴリー(純 粋悟性概念)
は 「超越論的 に観 念的であるが ゆえに経 験的 に実在的 であ る」・と主張 され るのであ る。
カ ン トは この ような超越論 的観念 論 によって ニュー トン力学の普遍 的妥当性 を認識
論 的に基礎 づ けうる と考 えた 。第 一 に、 ニュー トンが 一方的 に措定 した絶 対空 間や絶
対 時間は人間一般 に固有で不変 な感性 形式 と して意味 づけ られ る。第二 に、ニ ュー ト
ン力学 の基本 概念 や基 本法則 は、空間、時 間の感性形式 とカテ ゴリー とか らなるアプ
リオ リな総合 判 断と しての 「原則 の体 系」 に基 づ け られる。その ことをカ ン トは 『自
然学 の形 而上学的基礎 づ け』 で具体 的 に展 開 した 。それ によると例 えば、物 質の実在
性 は、物 質 に根源 的な力 と しての引力 と斥力 との拮抗 が生ず る 「内包 的な度」か らな
る と考 え られ、 「感覚 対象 で ある実在的 な もの が 内包量 すなわち度 を持 つ」 とい う物
質概念 は、 「性質」 のカテ ゴ リーに由来す る 「知覚 の予料 」の原則 に基礎 づ けられる
と考 え られる。人間の感覚 知覚 は連続 的で内包 的 な感覚 の度 に よって満た される とい
う構造 を持 ってお り、感覚 対象 はこの ような感 覚知覚 の制約 の もとでのみ認 識 され る
のだか ら、対象 じたい も内包 的な度 を もつ とい うことはアプ リオ リに予料 で きる と考
えられ るの である($J。カン トは さらに 同 じ見 地から、ニュー トンの運動法則 を 「関係」
のカテ ゴリーに由来す る 「経験 の類推」 の原 則 に基 づ けた。 この ようにカン トは絶対
空間、絶対時 間、物 質概念 、力 学の基本法則 とい うもの をすべ て、人間一般 に固有 で
唯一不変 と され る認 識 様式 や 知覚 の構 造 に基 づ け、 そ うす るこ とに よって初 めて
ニュー トン力学 の普 遍的妥 当性 を正当化 しうる と考 えたのであ る。
カ ン トはこの ように して超越論 的観念論 の立 場 に よってニュ ー トン力学 を認識論 的
に基礎 づけ うると考 えたの であるが、 これ は他 方 で科学 的活 動の射程 を制限 し固定化
す るこ とにもなった 。カ ン トの立場 か らす ると 、以上 の ような認識論 的な制約 を満 た
さない理論概 念や仮説体系 は可 能的経験 に入 り来 ない もの と して客観 的知 識の資格 を
持 ちえないこ とになる。た とえばカ ン トは、 「粒 子論 的機械 論的力学」 は 「(原 子や
粒子の)絶 対 的不可入性 」 とか 「絶対 的空虚(真 空)」 とい う人間の認識様式 や知覚
様式 によって満 たす こ とので きない明 らか な仮 定 に立 ってお り、認識論的裏付 け を持
ち えない と断定 す る(9)。また彼 が前 期 に展開 した宇 宙生成 論 の ような理 論体系 は、
「無限」 とか 「(自 然 の)体 系的統一」 といっ た 「直観 の制約」 を満た さず可 能的経
験 に入 らない概念 に立脚 してい ると して、学問 的認識の枠か らはず され るこ とになっ
た。 カン トの認 識論の核心 は一言で いえば 「経 験:一般の可能性 の制約 は経験:の対象 の
可能性の制約 をなす」 とい うもので あ り、 これ は人間の意識や知覚 の唯一不変 な様 式
が科学的経験 と同質であ り、その対象 を普遍 的 に規定す るとい うこ とであ る。 カ ン ト
は この見地 によ り形 而上学 的思考 を科学 的認識 の領域 か ら排 除す るこ とがで きたが 、
これは同時 に原子論 的物理学 や宇 宙論 を物理学 の領域 か ら排 除す るこ とに繋が った。
カ ン トの哲学 は地上 の物理学 と宇 宙論 との乖離 とい うニュー トンの 自然 哲学の見地 を
認識論 的 に裏付 ける ことになったのであ る。
この ような、 ニュー トンに よって学問的 に設 定 され、カ ン トによって認 識論的 に裏
打 ちされた形の 、宇宙 論 を排 した仕 方で地上の 物理学 を基 盤 に して 自然探 究 を推進 し
よ うとい う自然哲学 は十九世紀末 まで支配的で あ った 。ヘルムホル ッは、 自然 現象 を
強さが 距離のみ に よる不 変な引力 と斥力に帰着 させ ようとい う汎力学主義を唱えたが 、
これはニュー トン力学 が 自然認識 の唯一の可能 性 を示す とい う見地 を含意 した。 しか
し二十 世紀 にな り、ア インシュタ インの 「相対 論」 の登 場 によって絶対 空間 と質点 の
概念 とを二つの柱 とす るニ ュー トン力学 の限界 が 明 らか にされると ともに状況 は一変
する。 と りわけ彼 の 「一般相対論 」 は、宇 宙空 間 を物 理的 な場 と解 し、空間 と物質 を
相互的な 関係 の もの とみなす。 この理論 を大 きな契機 と して宇宙生成 論が物理学 の分
野で学問的市民 権 を獲得 し、現代 で は周知 の よ うな極め て活発 な展 開 を見せ るに至 っ
てい る。 このア インシュ タイ ンの相対論 の形成 に影響 を与 え、現代 の宇宙論 の一 つの
指導的原理 とな ってい るの もの に 「マ ッハ原理 」 とい う ものがある。マ ッハ は彼 の書
物 『力学 の発展史 』でニュー トン力学 の基本概 念 に対 して根本 的な批判 を展 開 したが 、
そのなかで、ニ ュー トンがバケ ツの回転 運動が バ ケッのなかの水 に対 して引 き起 こす
遠心力 の効 果 に絶対運 動の証拠 を認 め うると した のに対 して次の ような批判 を提示 し
た。
すなわちマ ッハ に よれ ば、物体 の運動 とい うのはす べてそれ の回 りの物 質 と相対 的
にのみ理解 されるべ きで あって、バケ ツの回転 運動 の場合、 も しバ ケッの 回 りの全宇
宙がバケ ツと一緒 に 回転す れば、バケ ッの相対 回転 はな くなるこ とになって、そ の時
には遠心力が生 じるか どうか分か らない。ニュ ー トンは地上 の運動 を宇宙 との関係 か
ら切 り離 して、それ を絶対視 してい るのに他な らないの である。マ ッハ による と、地
上の物体 の地 球 に対す る振 る舞い は、遠 い天体 に対す るそれの振 る舞い にまで関連づ
けうるのであ り、そ れはその ように宇 宙全 体 に関係づ けてのみ確 定的 に記述 で きるの
である(ion。この よ うな 、物体 の運動 はすべ て宇 宙の他の物体 と相対 的な ものであって 、
地上 の物体 の運動 といえ ども全宇宙 に関係づ け よ、とい う考 えがマ ッハ原理 と呼 ばれ
る。この考え によれば地上の物理現象 も宇宙 の物質分布 や物 質構造 との関連 でのみ解
明 される とい うこ とに な り、地上 の物理学 は宇 宙論 と不 可分 で あって、む しろ後者が
前者の前提 になる とい うことになる。現代 の物 理学 は、宇宙の生成 や構 造の見地か ら
地上の物理現象 を捉 え直そ う とい う自然哲学 の新 たな展 開 を示 している と考 え られる
のであ る。 この ことは認識論 的 にい えば、カ ン トの ように知覚 や意識 の様 式 を認識 の
軸 とす るのではな しに、理論 的概念や宇 宙論 的 考察 に立脚 し、そこか ら地上 の知覚 的
世界を位置づけ るとい う見地の必要性 を示唆 してい るもの と受け止める ことが できる。
‹3›

現代哲学応用

1 カントと超越論的論証
本稿は,「超越論的論証(transcendental argument)」をめぐる論争の問
題を検討し,現代哲学に対してイマヌエル・カントの超越論哲学の独自性を明
らかにする。カントの超越論哲学は分析哲学によって解体されたという見解が
支配的な状況で,なおもカントに着想を求め,超越論的論証を用いる現代哲学
の立場がある。現代哲学の超越論的論証は,意味の理論や価値の理論,道徳の
理論における懐疑論を論駁するさい,懐疑論者の疑いに不整合を指摘する。し
かし,筆者の見るところ,現代哲学は,経験主義の問題を抱えているゆえに論
駁が成功しているとは言いがたい。そこで筆者は,超越論的論証をめぐる論争
の経緯を踏まえ,自己知の問題に超越論的論証を用いることを試みる。これに
よって本稿は,現代哲学に対して外界へと開かれた自己の心のあり方を主張す
るカントの超越論哲学の独自性を明らかにする。
2 超越論的論証をめぐる論争
⑴ 分析哲学の超越論的論証
周知のようにピーター・フレデリック・ストローソンが「概念枠(conceptual scheme)」

における「特殊者同定(particular-identity)」という世界に対す
る思想の構造を明らかにするにあたり,みずからの論証を超越論的と表現した
ところから,一連の論争が始まった。ストローソンは,外界の懐疑論を論駁
するために,以下の論証を用いる。
①われわれは,「物(material thing)」についての「単一の時空体系(a sin127
gle spatio-temporal system)」という概念枠を持ち,概念枠を持つならば,
特殊者同定を受け入れる。
②特殊者同定を帰属させようとせずに,ある体系内の項目と他の体系内の項
目との同定を疑うという問題は存在しない。二つの体系を含む単一の体系
の内にある場合にのみ,特殊者同定に対する疑いが意味をなす。
③単一の体系を持つ条件として,部分的体系の少なくともいくつかの項目を
他の部分的体系のいくつかの項目と同定するために充足可能であり,通常
は充足されている規準がある。
④懐疑論者は,ある概念枠を受け入れるふりをしながら,同時にその概念枠
を用いる条件の内の一つを暗黙裡に拒否している。
ところが,バリー・ストラウドは,ストローソンの論証が懐疑論論駁に成功
していないとして,次のように指摘する。ストローソンの論証の隠れた前提
として,客観的特殊者という観念がわれわれにとって意味をなす場合,われわ
れはある規準が充足されているとしばしば知っており,その規準の充足はその
ような対象が知覚されなくとも存在し続けているか,存在し続けていないかの
いずれかを論理的に含意するという検証原理がある。したがって,検証原理を
前提するならば,懐疑論を論駁する必要はなく,検証原理を前提しないなら
ば,一切が現象として時空の内にあるとする超越論的観念論の立場をとらざる
をえないことになる。他方,リュディガー・ブプナーは,ルートヴィヒ・ウィ
トゲンシュタイン,W・v・O クワイン,ストローソンの論証を範例として,
「自己関係性(self-referentiality, Selbstbezüglichkeit)」に訴える形で『純粋理
性批判』から超越論的論証を定式化する。ブプナーによれば,超越論的論証
は,与えられた先行条件へと遡ることで操作それ自体の条件へと遡り,ある概
念を使用する可能性の条件を解明すると同時にその解明がどのようにして可能
かを示さなければならない。これに対してリチャード・ローティは,概念枠と
内容との区別を破棄するドナルド・デイヴィドソンの論証を引き合いに出
し,ブブナーの論証を自己論駁的な寄生論証と見なす。このようにして超越
論的論証をめぐる論争は,分析哲学と超越論哲学との対立構図を浮き彫りにし
つつも,現代の超越論哲学の終焉を印象づけていったんは下火となった。
⑵ 信念の問題,価値の問題と現代哲学の超越論的論証
これに対してストローソンが「野心的(ambitious)」な形式での超越論的論
証から撤退すると,ストラウドがより弱い形式での超越論的論証を信念の問
題に用いることを試みるようになる。ストローソンは,「考える」や「信じ
る」などの心理学的な動詞による心理学的な前提から出発し,物のあり方につ
いて述べる非心理学的な結論を引き出そうとしていたが,その論証から撤退す
る。しかし,ストラウドの考えでは,超越論的論証が検証原理や超越論的観念
論に依拠せずに明らかにすべき論証目標は,ある信念の「必要不可欠性(indispensability)」

が「論駁不可能性(invulnerability)」を含意することにある。
すなわち,ある信念は,独立した世界についての何らかの考えや一連の信念の
内で呈示されているならば,世界について考えることと整合的に破棄されえな
いので必要不可欠である。世界についての何らかの思想や信念を持つために必
要な信念は,何らかの思想や信念に帰属させられているならば,偽と見なされ
えないので論駁不可能である。
デイヴィドソンの意味の理論は,ある信念が共有されていると見なされる必
然性によって真と確証される論駁不可能性を明らかにしようとする。信念の論
駁不可能性は必要不可欠性を含意しないが,信念を持つと見なされるならば,
信念全体は偽と見なされえないので論駁不可能でありうる。他方,現代の心の
哲学における内容外在主義によれば,ある人の思想や信念は,他人との相互作
用の内にあり,その人の思想や信念が関わる世界の内の何かによって部分的に
規定されていなければならない。しかし,内容外在主義は,信念が世界につい
ての思想や概念に必要不可欠であると明らかにせずに,論駁不可能であると確
証しようとする。そこでストラウドは,思想や信念を帰属させる条件を明らか
にするために,次のような論証を用いる。例えば世界の内にある対象の色につ
いての信念の内容は,色についてではない術語へと還元されたり,それと同等
に表現されたりしない。われわれは,他人が対象の色について物を考えたり信
じたりすると考えるためには,色の思想を受け入れ,物の色について知性的に
考えることができなければならない。色についての信念が還元不可能であるの
は,色についての信念のいくつかを欠いては他人が色についての信念を持つこ
とが意味をなさなくなるからである。色についての信念が論駁不可能であるの
は,色についての信念を持つことが意味をなし,物の色についての信念を持つ
ならば,それがすべて偽であると整合的に見なされえないからである。このよ
うにしてストラウドは,より弱い形式の超越論的論証に従って信念の必要不可
欠性と論駁不可能性を明らかにする。さらにカーシム・カッサムが「世界に向
けられた(world-directed)」論証とは異なる「自己に向けられた(self-directed)」

論証として超越論的論証を再構成し,ロバート・スターンが「慎まし
い(modest)」仕方での超越論的論証を考える。
他方,クリスティーン・マリオン・コースガードは,価値の理論を展開する
さい,カントが『人倫の形而上学の基礎づけ』で人間性の法式を導出する議論
に従って次のような論証を用いて,これを超越論的と表現する。
すなわち,われわれは,われわれの目的のいくつかが明らかに条件つきであっ
ても,それを善と見なす。われわれは,十全な合理的自律でもってそれらが選
択されている場合,常にそれを善と見なす。したがって,十全な合理的自律そ
れ自体はそれらの価値源泉である。さらにコースガードは,同様の論証を用い
て,道徳の理論における自然主義と実在論に対して道徳的義務の前提条件を明
らかにしようとする。コースガードによれば,道徳の規範性は「反省的認
証(reflective endorsement)」という方法で確証される。そうしようとする自
分の傾向を反省し,自分の傾向が行為に要求する権威を受け入れるかあるいは
拒絶することができる,その決定に従って行為することができると想定する。
こうして道徳を正当化する方法が反省的認証である。人間の心は自己意識的で
あり,人間の意識の反省的な構造から義務が生じる。そのさい,人間は「反省
的行為主体(reflective agent)」として自己自身に価値を見いださなければな
らない。コースガードは,これを道徳的義務の前提条件として明らかにするた
めに,次のような論証を用いる。すなわち,合理的行為が存在し,われわれは
それが可能であると知っている。われわれがちょうど行っていた反省の過程に
よって,合理的行為は人間が自分の人間性に価値を見いだす限りで可能であ
り,われわれは当の人間である。それゆえにわれわれは自己自身に価値を見い
だし,それゆえにわれわれは価値がある。このようにしてコースガードは,道
徳の理論として,超越論的論証に従って反省的行為主体が自己自身に価値を認
めなければならないので,自己自身に義務が伴う道徳的同一性を認めなければ
ならず,それゆえに道徳的義務を認めなければならないと主張する。
⑶ 現代哲学における経験主義の問題
もっとも,現代哲学の超越論的論証は,カント自身の論証との乖離を指摘し
なければならない。トーマス・グルントマンによれば(16),超越論的論証は,
(1)デカルト主義的な外界についての懐疑論に対して,(2)実在論の制約のも
と,(3)外界におけるある事実に訴えてその疑いの不整合を明らかにする点に
構造上の特徴がある。他方,カントは,(1)経験主義的な懐疑論に対してアプ
リオリな認識の可能性を擁護し,(2)超越論的観念論の立場をとり,(3)超越
論的証明が間接的であってはならないとする。ところが,
カントは,『純粋理性批判』では超越論的証明の根拠を「可能的経験」に求め
る。したがって,超越論的論証は,『純粋理性批判』に即して,

(1)外界のアプリオリな認識として,(2)外
界の必然的性質を真理ないしは世界へと向けられる機能の内で,(3)経験的表
象に関する何らかの理論によって正当化すると考えることができる。そのさい
に論理形式は次のようになる。①(タイプAの)経験がある。②(タイプAの)
経験があるならば,Bである。それゆえ,Bである。例えばストローソンは,
『純粋理性批判』解釈として,以下の論証を考える。
①経験が可能であるためには直観と概念とが必要であり,経験の内に「再認
知の構成要素(a component of recognition)」が存在しうるのは,経験の
自己帰属が可能だからである(=経験の自己帰属の可能性)。
②経験の自己帰属が可能であるならば,経験判断における主観的構成要素の
区別,経験の客観的順序・配列と主観的順序・配列との区別が可能であ
り,経験がそれ自体に関して思考する余地を与える(=経験の「自己再帰
性(self-reflexiveness)」)。
③「時空枠組み(spatio-temporal framework)」の内で客観的時間関係と主
観的時間関係との区別が可能であるならば,「恒常的なもの(a permanent)」

という概念を使用し,その事例として知覚対象の知覚を記述する
ことができる。
あるいはデイヴィドソンは,概念枠と内容との区別を破棄すると同時に,信
念と事実との一致に言語の意味があることを明らかにするために,以下の論証
を用いる。
①信念は,その本性に従って,公共的ないしは間主観的に理解可能である。
②間主観的な理解が人間の認知能力の制約のもとで可能であるのは,解釈者
が観察可能な話し手の振舞いから具体的な範囲で彼の信念を推理すること
ができる場合のみである。
③解釈者が観察可能な話し手の振舞いから具体的な範囲で話し手の信念を推
理することができるのは,話し手の信念がその表現を引き起こす知覚可能
な事実に概して関係づけられている場合のみである。
④話し手の信念は,その表現を引き起こす知覚可能な事実に概して関係づけ
られている場合,概して真である。それゆえ,信念は概して真である。
グルントマンの考えでは,表象される対象の制約をその表象の必然的な制約
に関する理論によって正当化する点で,カント,ストローソン,デイヴィドソ
ンの論証は超越論的と表現することができる。ただし,超越論的論証は表象の
理論として心と世界とを媒介する原理を正当化しなければならない。したがっ
て,ストラウドによるより弱い形式の論証やスターンによる慎ましい仕方での
論証は,カント自身の論証からは乖離していったと言わざるをえない。
他方,ゲアハルト・シェーンリッヒは,カントが『判断力批判』で考察
する「満足(Wohlgefallen)」という心のあり方を「賛成態度(pro attitude,
Pro-Einstellung)」に読み換え,価値判断を次のように定式化する。すなわち,
p であることが善い/価値であるのは,次の S が存在する場合に限る。(1)S
は(適切な状況のもとで)内容 p に関してΨを持つかもしれず,(2)Ψは賛成
態度であり,(3)内容 p に関してΨを持つことは適合的である。これに従って
シェーンリッヒは,コースガードによる価値の超越論的論証を以下のように修
正する。
①われわれは,われわれの目的のいくつかが明らかに道具的であっても,そ
の目的を善い/価値と見なす。
②すべての道具的価値にとって,少なくとも究極的価値が価値源泉として存
在しなければならない。
③われわれが目的を善い/価値と見なすのは,それが合理的自律のもとで定
立される場合である。
④……。
⑤それゆえ,合理的自律は,絶対的な究極的価値として,すべての価値に
とっての価値源泉である。
シェーンリッヒの考えでは,コースガードの論証は,懐疑論者ですら受け入
れる前提から出発する超越論的論証の典型的なモデルに即しているが,前提③
と前提⑤の間に必要な前提④が欠けている。そこで,「合理的自律」が「合理
的自己愛」という信念や願望,情念的感情などの賛成態度に置き換えられると
する。賛成態度の客観が価値評価に相応しいという意味でその態度を「適合
的」とするならば,客観性により正当化が可能である。それ自体のために評価
される「究極的価値」と,Sがpを考えうるすべての観点で評価される「絶対
的価値」という二つの価値概念を導入すると,前提④は以下のようになる。
④Sが合理的自律を究極的価値と見なす(目的それ自体として定立する)な
らば,そのなかでSの合理的自律が絶対的価値として表明される。
自己愛が「価値評価主体(wertschätzendes Subjekt)」にとって適合的な賛
成態度であるならば,一つの価値について述べられており,究極的に適合的な
賛成態度であるならば,一つの究極的価値について述べられている。自己愛の
合理性―条件では,普遍化が可能である。したがって,価値評価主体としての
「私」が合理性―条件の充足という前提のもとで自己自身を評価し,合理的自
律という形態で自己にとって価値であると主張することは,現実的には偽と見
なされえないので論駁不可能である。ただし,超越論的論証の論証目標とし
て,「私」が合理的存在者であることを破棄せずに自己自身を評価しないこと
がありうるか,自己価値評価が必要不可欠か否かは,未解決にしておかなけれ
ばならない。このようにしてシェーンリッヒは,コースガードによる価値の超
越論的論証を修正し,ストラウドとは異なる形で論駁不可能性のみから価値の
懐疑論を論駁する。
筆者の考えでは,超越論的論証をめぐる論争でのカント自身の論証との乖離
は,現代哲学が抱えている経験主義の問題に起因する。経験主義は,概念
枠と内容との区別を前提するので,経験内容を自己に直接結びつけなければな
らない限り,心と世界とを媒介する原理を自己に求めることができない。
シェーンリッヒがすべての観点を自己に求めるようにする形でコースガードの
論証を修正するのは,コースガードの論証が経験主義の問題を回避し,主体的
な契機を素通りしているためである。
3 超越論的記号論の構想と展開
ところで,超越論的論証をめぐる論争では,カール = オットー・アーペルの
超越論的言語遂行論におけるコミュニケーション共同体の究極的基礎づけと超
越論的論証との構造上の特徴に共通性が認められるという指摘があった。これ
に対してシェーンリッヒは,超越論的記号論としてカントの超越論哲学を再構
成し,ブプナーやアーペルとは異なる超越論的論証の構造を主張する。
シェーンリッヒは,超越論的記号論の構想のもと,超越論的構文論と超越論
的意味論として『純粋理性批判』の超越論的論理学を読み換える。超越論
的構文論は,判断の論理的機能を記号使用の「普遍可能性(Allgemeinheitsfähigkeit)」

の規則に読み換え,構文論的な「意義(Sinn)」が一致する記号使
用の理解可能性を明らかにする。超越論的意味論は,純粋悟性概念を記号使用
の「意味可能性(Bedeutungsfähigkeit)」の規則に読み換え,カテゴリーが
コードとなって現象を解釈することを明らかにする。こうして『純粋理性批
判』の超越論的論理学を読み換えるならば,超越論的統覚の相関概念としてカ
テゴリーの総体を指す超越論的客観は,記号使用と
「意味(Bedeutung)」とが一致する連関点となる。
シェーンリッヒによれば,言語記号における対象性と使用の規則として超越
論的客観が連関点となるならば,記号使用と意味とが一致しうるようになる。
これを規則措定の規則として理性の「審廷」で基礎づけるのが,「破れた自己
関係性(gebrochene Selbstbezüglichkeit)」である。記号の媒介性として,記
号の構造の面から見て,原理的に記号内容の指示は記号の表記を必要とする。
超越論的主観に循環を認める『純粋理性批判』の誤謬推理批判の議論に従って
考えるならば(Vgl. A346/B404),次のようになる。自己意識の統一は「私」
という記号にのみその意味の内で接近しうる一方で,「私」はそれが意味する
事態の表示に留まる。ブプナーによれば,超越論的論証が訴える自己関係性
は,「それが述べるところのものを述べるとともにそれ自体についても何かを
述べる」関係性となる。しかし,アプリオリな自己関係性は,ブプナーが考え
たような絶対的な自己生成の関係性ではなくて,記号の外的構造を必然的に伴
う破れた関係性,換言するならば,自己を常にみずからの外に対して自己とす
る関係性でなければならない。
さらにシェーンリッヒは,ユルゲン・ハーバーマスとアーペルの討議倫理学
を検討し,法と道徳の関係を考察する。ハーバーマスは道徳的な観点への
方向づけを今にも失いそうになり,アーペルは道徳的な方向づけそのものの意
義を疑わしくさせる。しかし,討議への自由な同意という構想の内で自由の概
念がより強い意味を持ち,討議倫理学のシステムを突破するほどまでに力動性
を拡大するので,超越論的言語遂行論による討議倫理学の根本規範の究極的基
礎づけは完全には要求が満たされない。そこでシェーンリッヒは,超越論的記
号論に基づいて文化における理性の自己限定の形態として法と道徳を考え,討
議倫理学とは異なる形で規範的なモメントを共同体のシステムの内に見いだそ
うとする。
シェーンリッヒによれば,超越論的記号論は,文化が「記号行為(Zeichenhandeln)」

として理性の「解釈性(Interpretativität)」を解放し,理性が法と
道徳の形態へと自己を限定することを明らかにする。例えばバリ島の闘鶏
は,バリ島の文化が羽,血,群衆,金銭を媒介にして社会的情熱を解釈する記
号行為であり,理性の要請として自己を解明する。同時に理性は,法の形態で
は自然の野蛮さへの固執から外的な自由を脅かす者に強制を適用するが,道徳
の形態では文化対立における異文化への破壊的な干渉を禁止する。このように
考えるならば,ローティが主張するような文化相対主義に対して,文化に依存
しない理性のミニマリズム的な核心部分が確保される。さらに記号論の枠組み
でカントの法哲学のカテゴリーを読み換えるならば,共同体の強制へと至る規
則の懐疑論に対して,次のように考えることができる。共同体は,システ
ムにおける「制度化を制度化すること(Institutionalisierung des Institutionalisierens)」

が手続きに従って普遍性,平等性,相互性という規範的なモメント
を産み出し,その手続き自体に規範的なモメントが反省的に適用される。例え
ばアザンデ族の鶏の神託と西ドイツ技術監査協会の設立は,制度化の手続きに
おける普遍性,平等性,相互性が制度に従う者の関係における普遍性,平等
性,相互性を保証する限りで,規範的には対等である。
筆者の見るところ,シェーンリッヒによる超越論的記号論の構想と展開につ
いて注目すべきは,討議倫理学に対して物理世界における心のあり方を問う点
である。シェーンリッヒの考えでは,カントによる図式の説明は,知覚には能
動的な選択があるとする認知心理学におけるスキーマの考え方と整合する形
で,文化の働きを明らかにする試みとして読み直すことができる。超越論
的記号論は,異なる文脈に適合するように知覚図式を補完するコード化という
解釈の働きに,文化の非機能主義的な働きを見いだす。また,カントによる直
観と判断の説明は,認知機能を正しく理解するために,「精神内在的なものの
パラダイス」から表象内容を追放する試みとして読み直すことができる。
超越論的記号論は,「直観の現われ」と「直観内容」をインデックス的個物記
号とイコン的性質記号に読み換え,直観の現われによる直観内容の指標化を明
らかにする。記号使用は,直観の現われが「外延量」となり,
現実に存在する客観に「感覚の実在的なもの」として関わるように求
める。こうして超越論的記号論は,現代の心の哲学における内容外在主義の立
場から,次のように主張する。すなわち,判断の真理条件はあらゆる文脈で一
定であり,客観が与えられる心のあり方は状況に依存するが,直観の現われに
おける指標化が直観内容を概念的に把握可能なものにする。討議倫理学は,自
己を「間人格的(interpersonal)」なものと見るが,そのさいに行動主義の因
果的な刺激―反応の関係に心のあり方を限定する。これに対して超越論的記号
論は,「人格内的(intrapersonal)」な次元へと考察を展開し,解釈という文化
の非機能主義的な働きを明らかにしながら,外界へと開かれた心のあり方を超
越論的論証が訴える自己関係性として主張するのである。
4 自己意識の統一による超越論的論証
⑴ カントの自己意識論とデイヴィドソンの三角測量の議論
では,カントの超越論的論証は,シェーンリッヒによる超越論的記号論の構
想を手がかりとするならば,現代哲学のどのような問題に用いることができる
のであろうか。筆者の考えでは,デイヴィドソンは,「三角測量(triangulation)」

の議論における自己知のあり方として一人称の「権威(authority)」を
主張するが,これを明らかにするためにカントの超越論的論証を用いるこ
とができる。
デイヴィドソンは,概念枠と内容との区別を破棄する論証によって,(T)X
が真であるのは,p のときかつまたそのときに限るとする,アルフレッド・タ
ルスキが定式化した同値式を自然言語へと適用する意味の理論が同時に確立さ
れると主張する。当初,デイヴィドソンは,(T)の形の同値式を自然言語へと
適用するために,一致と自己整合性を求める「寛大さ(charity)」の原理のも
とで他人の言語や思想を解釈する「根元的解釈(radical interpretation)」を
考えていた。ところが,デイヴィドソンは,一致と自己整合性を求める考
えからは後退する一方で,外的世界についての知,他人の心についての知,自
分の心についての知という三種類の「知識(knowledge)」の還元不可能な関
係を三角測量の議論に従って裏づけるようになる。テーブルが現前してい
る場面で,「テーブル」に似た音を発した子どもが褒美をもらえるという過程
が繰り返されると,やがて子どもがテーブルを前にすると「テーブル」と言う
ようになる。ここで,一つの線が子どもからテーブルに向かい,もう一つの線
がわれわれからテーブルに向かい,さらにもう一つの線がわれわれから子ども
に向かっている。子どもからテーブルへの線とわれわれからテーブルへの線と
が交差する点に,「刺激」が位置づけられる。われわれは,世界と子どもに関
するわれわれの見方を前提として,われわれの反応と子どもの反応に共通する
ような子どもの反応の「原因」を選び出しうる。二人の話し手と共通世界の間
の三方向の関係が三角測量である。思考と言語にとって必要な客観性は,三角
測量の議論に従って,二つの生物が共通の遠位的な刺激やその刺激へのそれぞ
れの反応に対して相互的かつ同時的に反応する事実に依存することになる。こ
れにより,客観的なもののあり方という概念が与えられるとともに,真理とい
う概念が共有されている事実に従って二つの生物が信念を持つとされる。三角
測量による客観性のもとでは,信念と真理との違いから,心的なものは物的な
ものには還元されえない。同時に,命題と事実との対応を真理条件とする話し
手と解釈者としての聞き手との違いから,自己知における一人称の権威が認め
られなければならない。このようにしてデイヴィドソンは,外的世界について
の知,他人の心についての知,自分の心についての知という三種類の知識が相
互に還元不可能であることを明らかにする。
筆者の考えでは,『純粋理性批判』におけるカントの自己意識論は,デイ
ヴィドソンの三角測量の議論との構造的共通性として,次の二点を指摘するこ
とができる。第一に,カントの自己意識論における内的経験と外的経験と
の関係は,デイヴィドソンの三角測量の議論では心的なものと物的なものとの
関係に相当する。カントは,内的感官の対象の述語として「表象や思考」
,「思想,感情,傾向性,あるいは決意」といった概念を挙げ,
超越論的自我の第三者的な観点から経験的自我に述語づける経験の内的なあり
方を考える。他方,デイヴィドソンは,「信じている,意図している,欲して
いる,希望している,知っている,見ている,気づいている,想起している」
といった命題的態度を表現する心的な動詞を含む記述の規準が明確化されえな
いとして,心的なものと物的なものとのカテゴリー上の相違と個別的な出来事
のレベルでの同一性を主張する。したがって,カントの自己意識論は,内
的経験と外的経験との統一的な関係が心的なものと物的なものの非法則的な同
一性に相当する点で,デイヴィドソンの三角測量の議論との構造的共通性を指
摘することができる。
第二に,カントの自己意識論における原因性概念と感性的直観との関係は,
デイヴィドソンの三角測量の議論では単称因果言明と外的状況との関係に相当
する。カントは,アプリオリな総合判断として原因性概念の感性的直観への
「超出(Hinausgehen)」を求める超越論的真理のもと,
現象の客観的継起から把捉の主観的継起が導出されなければならないと考える
。他方,デイヴィドソンは,命題と事実との対応を求める
真理条件のもと,単称因果言明が外延的であると同時に何らかの法則がそれを
裏づけると主張する。例えば「太陽がある石を暖めた」という判断は,「太
陽がある石を暖めた」という現象の客観的継起から「ある石を照らした太陽」
と「暖かくなったその石」という二つの把捉の主観的継起が導き出されなけれ
ばならない。「太陽」と「石」それぞれの把捉,「太陽がある石を照らした」と
いう知覚と「その石が暖かくなった」という知覚についての判断が真であるの
は,それが太陽と石であり,太陽がある石を照らしてその石が暖かくなったと
きかつまたそのときに限る。そのさいに「太陽がある石を暖めた」という現象
についての判断が真であることが前提にある。「太陽がある石を暖めた」とい
う現象についての判断が真であるのは,太陽がある石を暖めたときかつまたそ
のときに限る。したがって,カントの自己意識論は,原因性概念の感性的直観
への超出を求める超越論的真理が単称因果言明の意味を外的状況に求める真理
条件に相当する点で,デイヴィドソンの三角測量の議論との構造的共通性を指
摘することができる。
⑵ 自己知の問題とカントの超越論的論証
さらにデイヴィドソンは,一人称の権威として,信念,希望,欲求,意図な
どの命題的態度を現在の自分に帰属させる場合には,他人に帰属させる場合と
は異なって誤りがないのはなぜかという自己知の問題を指摘する(33)。これに
対してデイヴィドソンは,自己帰属には規準がないとするウィトゲンシュタイ
ンの指摘に遡り,自分への帰属と他人への帰属の非対称を否定するライルやエ
イヤーの見解を退けたうえで,ストローソンの議論とシドニー・シューメイ
カーの議論を検討する。ストローソンによれば,懐疑論者は,どのようにして
他人の心のなかで起こっていることを知りうるかという自分の疑問を理解して
いるならば,心が何かを知っている限りで,心が身体のなかにあって思考を持
つと知っている。さらに懐疑論者は,思考を他人に帰属させる場合には観察さ
れた行動が基礎になるが,自分に帰属させる場合にはそのような基礎はないと
も知っている。これに対してストローソンは次のように主張する。心的概念を
持つためには,心的述語の自己帰属者が同時に他者帰属者であり,すべての他
人が自己帰属者であることが必要である。また,心的概念を理解するために
は,主語の観察による帰属とそれとは独立の帰属のいずれをも許容し,かつ多
義性に陥らないような述語を認めなければならない。しかし,デイヴィドソン
によれば,ストローソンはその理由を説明していない。あるいはシューメイ
カーは次のように主張する。心的出来事に関する言明は,ある人が誠実に述べ
ているならば,それが偽であるとは考えられないという意味で,「訂正不可能
(incorrigible)」である。訂正不可能という条件は一人称の権威に置き換えら
れるとする。一人称の権威が認められるのは,話し手が特権的な種類の文を用
いていると知っている場合か,解釈者が自分への帰属を真として解釈しなけれ
ばならない場合である。したがって,デイヴィドソンによれば,シューメイ
カーは論点先取を免れえない。しかし,明示的には困難な推理に聞き手は依拠
しなければならないが,話し手は依拠しないという事実により,自分への帰属
と他人への帰属は非対称となると考えられる。話し手は,自分の言葉が何を意
味するかを語るためには,次のような種類の言明を与えられるのみである。
「ワーグナーが幸福な死をとげた」という私の発話が真であるのは,ワーグ
ナーが幸福な死をとげたときかつまたそのときに限る。聞き手は,「~」とい
う私の発話が真であるのは,~ときかつまたそのときに限るとするのが,自分
にとっては話し手の発話の真理条件を述べる最良の方法だと考えるべきいかな
る理由もない。このようにしてデイヴィドソンは,自己知のあり方に関する独
自の見解として,一人称の権威が認められなければならないと主張する。
デイヴィドソンの議論については,次の二点を踏まえておく必要がある(34)。
第一に,デイヴィドソンは,自分の言葉が何を意味するか,話し手が知らない
とするヒラリー・パトナムと心的内容の社会的要因への依存を強調するタイ
ラー・バージの議論を検討しながら,一人称の権威を主張する議論を補強して
いる。「関節炎(arthritis)」に関する思考実験から,バージは次のように主張
する。ある人の言葉は自分が属する言語共同体のなかで自分の言葉が持ってい
る意味を与えなければならず,それに基づいてその人の命題的態度も解釈され
なければならない。しかし,社会的要因は,デイヴィドソンによれば,バージ
の考えとは異なる形で話し手が自分の言葉によって何を意味しうるかを操作す
る。すなわち,話し手は,理解されたければ自分の言葉が一定の仕方で解釈さ
れることを意図しなければならず,したがって自分が意図した解釈へと至るた
めに必要な手がかりを相手に提供することを意図しなければならない。また,
「双子地球(Twin Earth)」に関する思考実験から,パトナムは次のように主
張する。ある思考は,頭の外にあるものとの関係によって同定されるならば,
完全には頭のなかにない。ある思考が完全には頭のなかにないならば,心は,
一人称の権威によって要求されるような仕方でそれを把握することはできな
い。しかし,意味が頭のなかにないという結論は,デイヴィドソンによれば,
意味が部分的に頭の外にある対象への関係によって同定されるという事実だけ
からは帰結しない。というのも,通常の方法での心的状態の同定に関与してい
る外的要因が見きわめられたとしても,心的なものと物的なものの同一説が排
除されるわけではないからである。このようにしてデイヴィドソンは,パトナ
ムとバージの見解を退け,一人称の権威を主張する議論を補強している。
第二に,デイヴィドソンは,概念枠と内容とを区別する概念相対主義が客観
的なものと主観的なものの二元論であることを指摘したうえで,新たな反主観
主義の内に一人称の権威を主張する見解を位置づけている。デイヴィドソンに
よれば,異なる枠組みないしは言語は経験に与えられたものを組織化する異な
る仕方を構成すると主張する概念相対主義では,解釈されていない所与,カテ
ゴリー化されていない経験内容が認められている。概念枠と内容との区別は近
代哲学の問題を支配し,規定し続けてきた客観的なものと主観的なものの二元
論に遡り,私秘的な状態と対象を持った心という概念に由来する。これに対し
て新たな反主観主義では,意味の外的要因への依存が限定的なものと見なさ
れ,心的出来事と物的出来事との同一性と一人称の権威が否定されると誤解さ
れている。しかし,(1)心の状態はそれが習得された社会的・歴史的文脈に
よって部分的に同定されるが,(2)それによって心の状態は物理的状態ではな
いと示されるのではなく,(3)一人称の権威が認められなくなるのでもない。
同時に,(4)解釈されていない経験とそれを組織化する概念枠が区別されると
いう考えは誤りであり,(5)「思考の対象」を措定する必要もない。このよう
にしてデイヴィドソンは,新たな反主観主義の内に一人称の権威を主張する見
解を位置づけている。
これに対してカントは,『純粋理性批判』第一版の超越論的分析論における
「純粋悟性概念の演繹について」では,統覚の超越論的統一に基づいて表象の
関係が法則に従うようになるとして,次のように述べる。「というのも,心性
がみずからの表象の多様性の内での自己の同一性をそれもアプリオリに思考す
ることは,把捉のすべての総合(それは経験的である)を一つの超越論的統一
に従わせて,そうしたアプリオリな規則に従う総合の関係をはじめて可能なも
のにするようなみずからの働きの同一性を眼前に置かなければ,不可能かもし
れないからである」(A108)。さらにカントは,第二版における演繹では,統
覚の総合的統一が構想力の超越論的総合に関わり,多様なものの総合的統一の
内で私が自己自身を意識するとして,次のように述べる。「これに対して私が
表象一般の多様なものの超越論的総合の内で,したがって統覚の総合的な根源
的統一の内で私自身を意識するのは,私が私に現象する通りにでもなければ,
私が私自体である通りにでもなく,ただ私があると意識するだけである」
(B157)。他方,カントは,『純粋理性批判』第一版の超越論的弁証論における
「純粋理性の誤謬推理について」では,外的経験と内的経験を内に含む「われ
われ」が「思想の超越論的主観=x」(A346/B404)としての単なる一人称の
主語であり,それを超え出た「内的感官の超越論的対象」(A361)としての魂
ではないとする。要するにカントが『純粋理性批判』で自己意識論として主張
するのは,統覚の超越論的統一として対象の意識が表象の関係における法則と
同一的な自己の意識とのいずれをも可能にするが,そこで意識されるのは単な
る自己だということである。「超越論的対象=X」を介して現象を対象とする
ところから(Vgl. A108f.),統覚の超越論的統一は,単なる自己が自己とは異
なる対象へと向かう自己意識の統一のあり方となる。
筆者の考えでは,分析哲学における自己知の問題に対してカントの自己意識
論を援用するならば,次のようになる。デイヴィドソンの議論では,話し手
は,自分の言葉が何を意味するかを語るためには,「~」という私の発話が真
であるのは,~ときかつまたそのときに限るというような種類の言明が与えら
れるのみである。カントによれば,自己意識は,超越論的な主観と対象との相
関関係を含む統一を通じて,内的経験から外的経験を区別しなければならな
い。超越論的記号論に従って読み換えるならば,自己意識は,言語記号を使用
する主体と記号の対象との相関関係を含む記号の意味を通じて,「記号利用者
(Zeichenbenützer)」として記号一般の内部に感覚言語を位置づけなければ
ならない。したがって,話し手は,「私は思考する」という自己意識のもと,
心的なものとしての内的経験から物的なものとしての外的経験を区別している
ことになる。また,デイヴィドソンの議論では,話し手は,自分の反応と聞き
手の反応に共通するような,聞き手の反応の原因を選び出しうる。カントによ
れば,自己意識は,統覚の超越論的統一として自己とは異なる対象へと向かう
単なる自己を通じて,第三者的な観点を共有していなければならない。超越論
的記号論に従って読み換えるならば,話し手は,自分の反応と聞き手の反応を
関係づけるために,記号利用者として第三者的な観点に自己を位置づけなけれ
ばならない。したがって,話し手と聞き手は,第三者的な観点を共有している
限りで,互いが自分の解釈者でありうることになる。第三者的な観点として現
象における自己あるいは自己自体と区別され,単なる自己が意識される。これ
を裏づけるのが,「私は思考する」という自己意識の統一のあり方に訴えるカ
ントの超越論的論証である。
このようにして,自己意識の統一による超越論的論証に従って一人称の権威
が認められ,三角測量が成立すると考えることができる。デイヴィドソン自身
もこう述べている。「もしも個人が必要不可欠で,究極的には避けがたく創造
的な最終的裁定者という役割を果たしていないならば,いかなる思考も存在し
ていないであろう」。シェーンリッヒがコースガードの超越論的論証を修正
するのは,自己を常にみずからの外に対して自己とする自己意識の統一という
心のあり方から,道徳的義務における反省的行為主体が合理的自律を前提しな
ければならず,さらに認識と行為を媒介する価値評価主体が合理的自己愛を前
提しなければならないからである。カントの超越論哲学に立ち返るならば,ア
プリオリに可能であるべき「対象一般」についての「認識様式」の超越論的認
識から,外界へと開かれた心のあり方を主張する点にその独自性
があると考えることができる。鶏の概念のもとで目の前の一羽の鶏を鶏とする
さい,そこには羽や鳴き声などからなる知覚図式の働きがある。バリ人なら
ば,闘鶏における動物性の知覚図式の働きとなり,アザンデ族ならば,鶏の神
託における超越性の知覚図式の働きとなる。いずれの場合も,自己は心をみず
からの外の世界へと開こうとしており,そうする自己にまず価値があると言わ
なければならないのである。
以上の考察によって本稿は,信念の問題,価値の問題に超越論的論証を用い
る試みに現代哲学における経験主義の問題を指摘し,外界へと開かれた自己の
心のあり方を考えるカントの超越論哲学の独自性を明らかにした。現代哲学
は,意味の理論や価値の理論,道徳の理論における懐疑論者の疑いに不整合を
指摘する超越論的論証を用いるが,経験内容を前提しなければならない経験主
義の問題がある。これに対してカントの超越論哲学は,自己意識の統一に
よる超越論的論証に従って一人称の権威が認められ,三角測量が成立すると考
えることができる。

‹4›

 

参考文献

‹1›古代哲学は現代的問題にどのような意義をもつのかー瀬口昌久 – 古代哲学研究室紀要: HYPOTHESIS: The …, 2004

‹2›中世哲学から学んだことー片山寛 – 2015

‹3›近代における自然哲学の展開ー物理学と宇宙論との関係を中心にー小林道夫 – 哲学論叢, 1995

‹4›超越論的論証と現代の超越論哲学ー近堂秀 – 言語と文化, 2021

 

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